「そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。」伝道の書2-17
「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。」ヤコブ1-21
ただ存在していることを認めるのではなく、存在の意味を問うことは自分が自分に対して行うことであって、他人にそのことを向けるべきだはないと思います。
会社では能力に欠ける人がいると、そのしわ寄せがほかの人にかかるので、放っておけません。そこで「給料に見合った仕事をしてください。」とか「給料泥棒」とかの言葉が飛び交うことになることもあります。
そんな時どうしたら良いでしようか。
仕事のやり方を変えるように指導し、スキルアップすることを勧めるのが普通ですが、コミニケーションが取れない状況では思うように改善が進みません。
実はシビ了な会社の世界の場合でも、問題の人をすぐに配置転換するなどの手段が取れない場合がほとんどです。
問題の人を変えるという発想ではなく、今いる人を生かすという発想が必要です。
そんなことを言っているから日本の生産性は低いのだと叱られそうですが、
僕はこの簡単にはくびにできない社会があるからこそ、普通の会社員が安心して幸せに暮らしていけるのだと思うのです。
ですから自分がくびにならないために、企業の論理を100%信頼せず、会社であっても自分たちの幸せを真剣に考え、弱い者、小さい者を生かすという発想が自分たちを幸せにするのだと気が付くべきです。
成果主義、結果主義は自分らしく生きるということから心を引き離してしまいます。
そうではなくプロセスに目を向けるべきなのです。
ありのままの自分を生かして、自分らしく生きることの結果として、最も効率の良い成果を得ることが出来ると確信したとき、人生の生きる意味を実感し、充実した生活とともに、平安に満たされた人間関係が訪れます。
わたしがこのプログで繰り返し言いたいことは、自分に合わない生き方をしていては、どんなに成果が上がっても、やがて人間関係が崩壊し、終わりを迎えるということです。
一方自分に合った生き方をしていれば、身の丈に合った正しい目標に取り組むことが出来、無理なく着実な成果が表れるということです。
つまり空しい生き方をしないためには、イエス様の言う小さいものに目を向ける、そのことで幸せを感じる、肩ひじ張らないありのままの自分をしっかり感じることが唯一の道だと、心から思うのです。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。