しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

【動画メモ】ナルドの香油は、葬儀の準備!|第34話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)

神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。
イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。
たちゃんイスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん。
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。
こんにちは。
ああ、こんにちは。
また帰ってきてくれて、久しぶり。

今日も学びの続きを聞きに来ました。
このあいだのベタニアの話の続きね。こないだは4日間死んでたラザロが帰ったのよねえ。そっからだったわね。そして、イエス様が雌ロバの子のロバに乗ってベタニヤに入った。そこまでね。聞いたところだったね。
じゃ、ヨハネの11章の47節から53節読んでみて。
そこで祭司長とパリサイ人たちは議会を招集して言った。我々は何をしているのか。あの人が多くの印を行っているというのに。もしあの人をこのまま放っておくなら、全ての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやってきて、我々の土地も国民も奪い取ることになる。しかし、彼らのうちの1人で、その年の大祭司であったカヤパが彼らに言った。あなたがたは全然何もわかっていない。一人の人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びない方があなた方にとって得策だということも考えに入れてない。ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを預言したのである。そこで彼らはその日からイエスを殺すための計画を立てた。
これだけの奇跡を行っているにも関わらず、彼らはメシアだっていう風に結びつけないで、このままにしてたら人々が彼についていくので、ローマと戦いになるよって、そればっかり心配しているわけなのよね。
そうだよね。だって、ほんとだったら、ラザロが死んで四日目に蘇ったっていうのを聞いたら、彼らだって喜んで興奮していいはずなのに、もう全然そういう反応じゃないっていうことでしょ。
いや、逆の反応が出てるのね。それで、53節で、そこで、彼らはその日からイエスを殺すための計画を立てたっていうのがラザロが蘇ったすぐ後なのね。このラザロが蘇ったがために、あまりにもたくさんの人たちが興奮しているので、その日から彼らはイエスを殺すための用意をし始めたっていうね、カヤパが知らずに預言してる言葉。この言葉はね、すごい言葉で、一人の人が民の代わりに死んで、国民全体が滅ばない方がいいっていう言葉を使った。これは彼自身が言った言葉ではなく、イエスがもう国民のために、また神の散らされたもののために死のうとしている預言をしたのだって書いてあるでしょう。
はいはい。

だから何が起こったかって言うと、ベタニアで子羊が選ばれるところで、人々がみんなに選ばれたね。
はい。

そして、祭司によって生贄は殺されるでしょ。
うん。

で、ここで大祭司かがイエスを殺すアイディアを与えてるわけなのよね。
うん。うんうん。

だから、結局、神様のご計画っていうのが、子羊が選ばれるところで人々から選ばれ、そして祭司によっていよいよ生贄となるというパターンがそこにばっちり出てきているのね。
なるほど。うん。

じゃあね。次はヨハネの12章1節から3節読んでくれる。
はい。

イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中から蘇らせたラザロがいた。人々はイエスのためにそこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロはイエスとともに食卓についている人々の中に混じっていた。マリアは非常に高価な純粋なナルドの香油300グラムをとって、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。
これは、ナルドの油っていうのは、ものすごい高級なものなのね。ものすごい高級だから、よほどのお金持ちでないと手に入れられないっていうようなものなんだけれど、女の子が生まれると、裕福な人は必ずナルドの油というものを、その女の子のために、今日生まれたら、生まれた時から、もう中にはその時から貯金をし始めるという人もいるし、お金があるからすぐ買うっていう人もあるんだけれど、その女の子が生まれると、ナルドの油を買ってあげる。
ええ、どうして。
これは、ナルドの油っていうのは。うん、結婚式のために使うのね。で、その結婚式のために使うナルドの油っていうのは、結局、その生まれた女の子の宝となって、ずっと一生涯、これ、私の、ナルドの油よ、見てって言って、人に見せたり、自分で眺めたり、何を考えてるかっていうと、自分がお嫁に行くのことを楽しみにする、そのためのものなのね。
へえ。

そして5節で、うん、ユダがなぜこの香油を300デナリで売って、貧しい人を施さないのかって言ってるのね。
この300デナリっていうのは、大変なお金のこと。
すごい高価、すごい高価だということ。一日中ものすごく一生懸命働いて受ける賃金はっていうのが1デナリ。1デナリ。だから、300日しっかり働いたそれだけのお金が、300日働いてやっと買えるぐらい高価な、高価な香油なのね、これは。

じゃあ、普通の人ではなかなか買えないレベルのもの。
そう、だから、よほどに裕福なマリアの家族が裕福であったっていうのが、そこですごくよくわかるんだけど。
これ、そんなに特別な油なの。
もう、これはものすごい特別なの。ねえ、マルコ14章3節読んでみて。
イエスがベタニアでツァラートに侵された人、シモンの家におられた時、食卓についておられると、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの油の入った石膏のツボを持ってきて、そのツボを割り、イエスの頭に注いだ。

ナルドの油っていうのは、オミナエシ科の植物の根っこから取れるものなのね。で、このナルドの油の取れる、この根っこっていうのは、ものすごい寒いとこで育つのね。で、3300メートルから5100メートルのヒマラヤの山脈のところで育つもんだから、イスラエルからはものすごく遠いところ。そこから来てるのね。そして、石膏ってね、こういうの。これ、石膏の壺なんだけれど、ナルドの油が入っていた。石膏っていうのは、小さな彫刻が。ここにも彫刻が。
どこ。

はい。入ってるんだけど、小さなもので、ものすごく綺麗な、もう宝物に彫刻されてるのね。そしてね、ナルドの油が入ってるんだけど、密封してしまう。
お、密封してしまうってことは、使えないってことね。どうやって開けるの。

それ、石膏の壺を持って、その壺を割りっていう言葉が入ってんのね。
はい。

割ったっていう言葉が。そしてイエスの頭に注いだ。
割らないと使えない。
密封されてるから。だから、ナルトの油を。うん、片手に。そしてほかの石を。うん、ほかの手に。そしてここでパンって割って注ぐの。ねえ、だから蓋開けて。はいはい、ちょっとだけイエス様に注いで、あとはキープしておきますって、そういうことはできない。もう自分の宝を全部捧げるという姿がここに現れてるのね。幼い頃からもう宝物として持ってたものを、もう割って、もうあとはもう一回使うってことはできない。もう割っちゃったら、それで全部使い切るしかないっていうことでしょ。
そうそう。そうそう。

これをイエス様のために使ったっていう話。

そうなのよ。そうなのよ。そうなの。うん。この結婚式の時に使うってね。
はい。

もう、ほんとに小ちゃい。小さい時から大切にしていたものを。
うん。

全部イエス様に捧げる。

うんうん。

なんでこんなにナルドの油が結婚式に必要なのか。その理由があるわけね。はい。で、結婚するっていうのは、その、花婿にとっても花嫁にとっても真新しい人生が始まるっていうので、実はすごく恐ろしい思いをしている。また、不安な思いがあるけども、嬉しい思いもあるし、複雑な思いがいっぱい詰まってる。そのナルドの油の香りがこう漂うと、これはアロマテラピーになって、平安がふわーって与えられるのね。
うん。

で、このナルドの油は、この怒りを燃えてる人、そういう人に使うと、怒りがすっと静まるっていうことも語られてるのね。
素晴らしい。もう高価な油だったってことだね。
で、それを小さい時から大切にしてたの。イエス様に捧げたっていうね。

ほんとは、自分の結婚式の、その新しいね、スタートのために、大事にとっておいた宝なんだけど、イエス様のために割って、全部使った。
全部使った。そして、ちょっとスーパーに行って、リンゴもう1つ買ってきますっていう、そんな簡単なものじゃないから、もう全財産を捧げたわっていうようなね、感じなのね。そして、このユダは、300デナリで売ってあげればよかったのにって怒っている。はい、この時にイエス様がおっしゃったこと、8節と9節。はい、読んで。この、この14章の同じ場所ね。
この女は自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、私の体に前もって油を塗ってくれたのです。誠にあなた方に告げます。世界中のどこででも、福音が述べ伝えられるところなら、この人のしたことも語られて、この人の記念となるでしょう。この女は、うん、自分のできることをしたのです。
埋葬の用意っていうこと。これは、イエス様が十字架にかかる六日前。六日前の出来事。六日前の出来事なのね。六日前に、過越の六日前に、ベタニアに着かれたっていう言葉がヨハネに書く書かれてあったでしょ。だから六日前なのね。イエス様は百パーセント神様。だけど、百パーセント人間。うん、その人間の部分のイエス様が十字架にかからなければならない。やはり神様なんだけども、不安は、あそこで、このナルドの油を捧げたっていうアロマテラピーを与えられてるっていうのは、これは神様から来たことね。やっぱり百パーセント神様だけど、イエス様百パーセントは人間でもあるから、もうそういう励ましや平安が、このナルドの油によってもう必要だった。そういうことなんでしょ。
そういうことなのね。神様の愛がね、このような形で、実は彼女は生まれて、その受け取った時から、この日のために、うん、ずっと大切にしていたっていうことになるのね。
そういう風になるんだね。
うん。だから、世界のどこででも、福音が宣べ伝えられるとこでは、この人のしたことが語られるという言葉をイエス様がおっしゃったわけなのね。本当は自分の結婚のためにも宝物としてとっておいたつもりのものが、イエス様のためにとっといたことになった。それも葬儀の、葬儀のために用意されたものであるということがわかるわけなのね。
はい。

ええ。じゃあ、たけちゃん。はい、ヨハネ19章に行って19章の31節読んでくれる。
その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日、その安息日は大いなる日であったので、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取り除ける処置をピラトに願った。
これは。はい、安息日。ただの安息日だけじゃなくて、過越の祭りの中の安息日だから。
うん。ものすごく特別な日なのね。

うんうん。
ええ。そして、安息日っていうのは、日没、太陽が沈んだって言ったら始まるのね。だから、その、金曜日だから、イエス様が十字架にかかられたの。その日没が、太陽がこう、だいぶ沈んできてるから、骨を折ってくれって頼んでるの。
はい。

なんでそんなことを頼んでるか。なんで。十字架にかかってる人っていうのは、こう、十字架にかかってぶら下がってるとき、息できないのね。うん。だから、ものすごく苦しみながら懸垂をして、息吸い込んで息を吐く。また転垂をして息を吐くってそういうの。だから、骨を折っちゃうと懸垂できないので、すぐに死ぬのね。
なるほど。うん。

だから、さっさと死なせて。そして、十字架から外してくださいと。安息日が始まる前に、日没になる前にすぐに死ぬように、もう急がなきゃいけない。で、イエス様のところに来て骨を折ろうと思ったら、もうイエス様はもうすでに亡くなられた後だったので。それで、十字架から大急ぎで下ろして、普通はお墓に入れる前に香油を体に塗るのね。香油を塗って布にくるんでお墓に入れるんだけど、その時間がないの。その時間がないから、そうそう、大急ぎで体をおろして、布にくるんでお墓に入れて、香油を塗ってないのね。
うんうんうん。塗る暇がない。
ないない。でも、マリアが六日前に葬儀の用意としてナルドの油をすでに注いでいるわけなのね。
そういうことなんだね。

だからもうほんとに、ナルドの油を捧げた。マリアのしたことっていうのは、もうのすごい素晴らしいこと。自分のために葬儀の用意をしてくれてるのですっておっしゃって、もう家中がその香りで満たされたって書いてあったんでしょう。
ええ。

だから、家中にいた人たちがものすごい平安に包まれて、そして今度イエス様が外をお歩きになると、行くといったところに、その香りがばーって出るわけねえ。そしたらもうすごい怒ってる人が、ナルドの油の匂いがすっとしてくると、その怒りが収まって、この方はって思う。そういうのを思ってる時に、その後ろからついてくる女性が、マリアが同じ匂いがするっていうね。これは、全ての自分の宝を捧げた彼女が、イエス様と同じ香りをしてるっていう出来事。それが葬儀の用意。今でも私、私たちが何かこう、大切なものを主に捧げると主の香りがこう放ってくるっていうね。
うん。

そういう風な喜びがこう、出てくるじゃない。
はい。

ええ、それと同じように、彼女はもう実際イエス様と同じ香りになって。イエス様がお墓に入った時にはもうすでに葬儀の用意がされていたっていう。これがベタニアの出来事なの。
こんな。このストーリーの素晴らしさが、なんかもっとよくわかったね。今日は。ほんとだったら、女性が自分の結婚式の日のために、小さい時から大事にとってた高級なあの油を、救い主の埋葬のために取っていたっていう結果になったってことでしょ。
もうほんとにね。

その素晴らしさ、そしてほんとにそれを割ってでも捧げたかった。それが素晴らしい。
素晴らしいよね。

そして、イエス様が。彼女は自分にできることをしたのです。私のたのために、この葬儀のためにしてくれたっていう。彼女がこのナルトの油を両親からもらった時から、この日のためのものだったんだっていう。それがこのベタニアで人々に選ばれて。そして祭司には生贄にされると決められて。そしてベタニアで葬儀の用意がされて、エルサレムで十字架にかかられた。
こんなに深い意味がベタニアにあったっていうのは。やっぱ質問してよかったね。
いや、いい質問してくれてね。嬉しかった。もう長いことベタニアのこと考えてなかったけど、なんかずっと全部思い出して、イスラエルのこと思い出して、あーあのベタニアだって思ったのよ。ほんとにありがとう。
あ、このナルドの油のような香り豊かな歩みになったらいいなって思うね。
なってるよ、たけちゃん。ほんとにもうなってるよ。
じゃあ今日はこの辺で。また質問持ってきて
ね。またちょっと素敵な質問持ってきてください。
ありがとう。はい。
こちらこそ。本当に今も楽しい時間ありがとう。
それでは、本日のおさらいをします。イエス様はベタニアでラザロを蘇らせたため、人々から受け入れられましたが、祭司たちやリーダーたちには拒否されました。大祭司カヤパは、イエス様が全人類の罪のために死のうとしておられることを知らずに預言しました。十字架にかかられた日は安息日で、急いでお墓に入れられなければならなかったので死体に香油を塗る暇がありませんでした。しかし、ベタニアでマリアによってナルドの香油が前もって埋葬のために塗られていたのです。こうしてベタニアを拠点となさった神のホスピスは、エルサレムで人類救済計画のために掲げられました。
それでは皆様、またお会いしましょう。

動画リンク↓

https://youtu.be/FOGE4CBd_ZU?si=Ij1l0ZFexEW1bDWo

神の小羊がベタニヤで選ばれた?|第33話:【動画メモ】シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)

神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。
そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。
たけちゃんイスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。
お邪魔します。
あら、たけちゃん。
栄子おばさん、あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。よろしく。
いや。今年もよろしくお願いします。今日もね、質問持ってきました。
イエス様がいつもベタニアっていうところにいたんだなっていうのを聖書を読んで思うんだけど、エルサレムの周りには他にもたくさん街があったはずでしょ。ベタニアに行ってるのが多かったのは余程理由があるかなっていうのは疑問だね。
こういう質問を受けるの初めて見たな。素晴らしい質問なのね。イエス様のなさることっていうのはね、全部意味があるのね。で、だからイエス様はガリラヤ地方に住んでらっしゃって、エルサレムに来ると、ベタニアを、本拠としてらっしゃったね。なぜベタニアだったのか。そう、で、そこには大きな理由があるのね。
やっぱりこれも理由がある。
それが理由があるのね。それは、祭司がベタニアっていうのはね、こういうところなんだけど、これ坂になってるでしょ。これ、反対側がオリーブ山なの。反対側がオリーブ山で、オリーブ山の裏側がベタニアなのね。で、このベタニアで羊飼いがたくさんやってくるの。なぜ羊飼いがね、ベタニアに来るかっていうと、神殿の祭司がこのオリーブ山って行ってきたでしょ。
うんうん。

これオリーブ山でしょ。で、このオリーブ山を登っていくのね。で、このオリーブ山っていうのは、これ全部オリーブ山なんだけど、今のこのゲッセマネの園がこの辺にあるんだけど、てっぺんっていうのがここね。てっぺんがここで、裏側がベタニアなのね。

じゃ、ここ歩いて裏まで。

そうそうそう、だからさし、神殿はここ、こっちにあるのねえ。祭司はケデロンの谷に降りて、オリーブ山を登ってベタニアに行くと、羊飼がたくさん集まってるのね。なんで羊飼いが集まってくるかっていうと、祭司が生贄に使うための羊を、選ぶ場所なのねえ。なんで祭司が選ばなきゃならないかっていうと、モーセの律法に、羊は傷のないものでなきゃいけないっていうのがね、書いてあるので、出エジプト12章の5節を読んでくれる。
あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊か山羊の内から取らなければならない。
はい。これは、一歳で傷のないっていうのを見届けるのが祭司なのね。
ああ、ああ。
うん、祭司がこの羊は傷がないかどうかっていうのを調べる。
調べるっていうことね。そして、レビ記の5章18節。それをちょっと読んでみて。

はい。
その人は、羊の群れから、あなたが評価した傷のない雄羊一頭を取って、罪過のための生贄として祭司のところに連れてくる。祭司は、彼が誤って犯し、しかも自分では知らないでいた過失について、彼のために贖いをする。彼は赦される。
だから祭司が羊をちゃんと調べて、そして祭司によってこれは生贄にふさわしいっていう風に選ばれる。だからわざわざ祭司がベタニアに行って、そういう子羊を購入しに行くわけ。
ベタニアで祭司が羊を買ってたってこと。
購入。そうそう、購入。
だから羊飼いもベタニアに来てる。
そう、最初は買いに行ってた。
買いに行ってたっていうことは書いてはいないよね。
聖書には書いてないの。これは自分たちで育てて。
うん。

そして一歳で一番かっこよくて、一番綺麗なのを祭司のとこに持ってくるね。
はい。うん。

そして祭司がこう、ちゃんと点検して、よし、これは生贄にふさわしいですっていうと、生贄に捧げることができるの。
そっか。じゃあ祭司はなんでこれを買いに行って。
これはイエス様の時代に起こっていたことなんだけど、一世紀の初めから大祭司でなってたアンナスっていう大罪司がいるんだけど、この人がこう商売を始めたのね。ビジネスを始めたの。せっかく持ってきた子羊も山羊も、もう毛の間まで調べて、異常なる点検をして、うん、そして、これは生贄にふさわしくないって言って、それで渋々、せっかく持ってきたのを使えないっていうので、持って帰らなきゃなんないんだけど、生贄をこの神殿で売ってるから、それを買いなさいと言われ、人々は自分で育てた中から連れて行って祭司に見せるんだけど、祭司がそれはダメだと文句をつけ、で、今までそれを使いたかったのに、それが使い物にならないと言われちゃうから、その場で新しいのを買いなさいって言われるわけね。なんかものすごい可愛そうな状況。そして、その売った動物の収入っていうのは、アンナスに届けられたんですよね。
そうなんだ。ひどい話だ。
すごいひどい話なのね。これがイエス様のお時代の出来事なのね。
えー。

だから、なぜイエス様がベタニアの。そうそう、ここエルサレムにいらっしゃるたんびに、その場所を中心とした寝泊まりして、本拠としてっていうね。それは、その場所に神の子羊がここを選びになった。だからね、イエス様のなさってることっていうのは、全部意味があるんですよ。ベタニアっていう場所は、生贄にされる羊が選ばれる場所っていう、そういうイメージというか、そういう場所なの。
そういうわけなのね。
そこに、イエス様はいつも言っていた。
そこで寝泊まりしてるの。そして、毎日神殿に行ってお教えになって、また夜になるとベタニアに戻っていたっていうのが。だから、マタイ、ちょっと読んでみて。マタイの21章17節。はい。
イエスは彼らを後に残し、都を出て、ベタニアに行き、そこに泊まられた。
ベタニアに行き、そこに泊まられたっていうのは、一日中神殿にいらっしゃったんだけど、うんうん。泊まる場所はベタニアであったわけなのよね。そして、十二弟子たちも一緒にいつもそっちに行ってたので。マルコ、11章11節読んでみて。
こうして、イエスはエルサレムにつき、宮に入られた。そして、全てを見て回ったのち、時間ももう遅かったので、十二弟子と一緒にベタニアに出ていかれた。
やっぱりそうでしょう。十二弟子たちもベタニア。いつもイエス様と一緒にベタニアに行かれたわけなのね。そして、子羊が選ばれる場所っていうところで寝泊まりして、そして子羊が生贄に捧げられるところでお教えになってたっていうね。
そうかそうか。

子羊が選ばれる場所にイエス様が言ったっていうのは、イエス様も子羊って呼ばれてるっていうことが関係している。神の子羊として生贄になるためにお生まれになってね。人間はみんな生きるために生まれてくるんだけど、イエス様だけ死ぬためにお生まれになったのね。
うん。

だから、子羊は、その生贄にされる子羊っていうのは死ぬんだから、その死ぬ子羊が選ばれる場所で寝泊まりなさって、子羊が捧げられるところでお教えになってっていう。それが、エルサレムにいらっしゃったと。
生贄として捧げられる子羊が選ばれる場所っていうのと、イエス様も神の子羊として捧げられなきゃいけないから、その場所から出るっていうのが、ちょっと繋がってきた感じが。
もう本当にね、イエス様のなさってること全てがね、聖書の御言葉なのね。
やっぱりベタニアにあって意味があるなってのは、ちょっとわかってきたね。
で、そのベタニアからオリーブ山を越えて子羊が連れてこられる時、羊の門というところから入っていくのね。今現在、これは同じ場所。同じ場所なんだけど、ライオン門って言われてんのね。ライオン門っていうのはね、ここにライオンの彫刻みたいなのがあるから、ライオン門って呼ばれてんの。ねえ、これが使徒の働きの時代には、ステパノ門って呼ばれてたの。ステパノはこの門から引きずり出されて、ケデロンの谷のところで石投げの刑にあってるのね。だからステパノ門って長い間呼ばれてたんだけれど、今はライオン門。
でも、イエス様の時代にはなぜ羊の門かというと、祭司がベタニアで手に入れた羊を連れてきて、こっから入って神殿に持ってきてたのね。だから、羊の門っていうその時の名前がこの時の名前なのね。

うん。

だからもう、イエス様のなさったことっていうのは、一つ一つがその聖書の言葉に合っているのと、その時代の背景に当てはめて、イエス様が歩んでらっしゃった。で、聖書の中には、ベタニアが羊選ばれるところとは書いてないけど、イエス様の時代にはそうなってたから、そこで選ばれるという場所に行ってらっしゃった。祭司がそこに羊を買いに行き、羊飼いはそこに羊を売りに来た。子羊をそこから選んで連れていくっていう場所だった。だからね、ベタニアっていうのはね、ものすごい大切なこと。この質問、してもらってすごい嬉しいんだけど、誰もその質問してくれたことがないんだけど。素晴らしい質問なのね、これは。ねえ。

じゃあ、神の子羊っていう、イエス様がそこにこう出入りしてたっていうのは、もっと深い意味が。
そう。だから、ここにはイエス様が選ばれる場所。イエス様っていうのは神の子羊だから、もう生まれになった時から神様に生贄の子羊として選ばれて思われになってるんだけど、でも、この民族の人たちに選ばれなきゃならない。そのために、その子羊が選ばれる場所ベタニアをいつも根拠としてらっしゃったわけなの。ねえ、ここでとても興味深いことが起こってるので、ヨハネの11章、5節と6節読んでくれる。
イエスは、マルタとその姉妹とラザロと愛しておられた。そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられたところになおニ日とどまられた。
これ、ちょっとおかしいよね。なんでラザロが病気だってわかったのに、ニ日間余分に。
そうだね。うん。じゃ、ラザロ病気なの。じゃあすぐに行くって、そうあるべきなんだけど。ラザロが病気。じゃああと二日いましょうっていうことになってんのね。そして、ラザロが死んでしまうわけなのね。で、そこになぜニ晩、ニ日間余分にとどまられたかっていう、そこに大きな理由があるのね。で、なんでっていうと、ユダヤ人は人が死ぬと三日間はその人の魂がとどまってるって言ってるのね。だから、三日以内に復活するということはありえる。誰が復活したのかわかんないけど、ありえるっていう考えをいつも持ってたのね。ところが、ここであと二日とどまったがためにラザロは死んで、ベタニアに来た時には四日経ってたのね。
イエス様がベタニアに着いた時にはラザロが死んで四日。四日だから四日目。四日間死んでいたっていうことは、ユダヤ人にとって復活は不可能っていう、そういう日にちなのね。
ここで、同じヨハネ11章なんだけど、37節から39節読んで。
しかし、盲人の目を開けたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。という者もいた。そこでイエスはまたも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴であって、石がそこに立てかけてあった。イエスは言われた。その石を取りのけなさい。死んだ人の姉妹、マルタは言った。主、もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。
ここで四日になりますからという言葉が書かれているのがね、大きな意味があるのね。この御言葉の中に、盲人の目を開けたこの方が、あの人を死なせないでおくことができなかったのかというのは、もう人の目を開けるっていうことは、メシアだから。メシアであるのに、どうして愛するラザロを助けることができなかったんだろうって言ってるんですよ。そして、四日も経ってるから、もうとっくに死んでることは絶対なんだけれど、もうにおいがしてますよっていう言葉を言ってるのね。じゃあ、たけちゃん、41節から45節読んで。
はい。

そこで彼らは石を取りのけた。イエスは目をあげて言われた。父を、私の願いを聞いてくださったことを感謝いたします。私は、あなたがいつも私の願いを聞いてくださることを知っておりました。しかし、私は、周りにいる群衆のために、この人々が、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。そしてイエスはそう言われると大声で叫ばれた。ラザロよ、出てきなさい。すると、死んでいた人が手と足を長い布で巻かれたままで出てきた。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。ほどいてやって帰らせなさい。そこでマリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人がイエスを信じた。
ここで腐って、腐り始めてるはずの人が出てきている。蘇っている。もうこれはただメシアの奇跡をしているっていうだけではなくって、みんなを震え上がらせた出来事なのね。だから、このベタニアでこのことを見た人たちが、みんなそう信じたわけね。だから、神の子羊がベタニアで人々から選ばれたという出来事なのね。
この人こそメシアだっていう印象も。
もう絶対的にね、この人がメシアで神様でっていうね、もう大変震え上がるような出来事が起こったわけね。だから、このベタニアに関連している、ベタニアで選ばれているっていうことがまずは起こらないことには、今度エルサレムで神の子羊と捧げられるということがない。
うん。

その時代背景で、イエス様はベタニアをもう思い出されたわけなのね。ベタニアで贄に捧げられた子羊が、祭司たちに選ばれたように、イエス様も神の子羊なので、ベタニアで人々から選ばれなきゃいけない。
そういうこと。
ということ。神様にはもう選ばれてるから、それはいいんだけれども、人々から選ばれるっていうことがね、とっても大切だったのね。今度、ちょっと聖書を見てみようかな。はい、マルコの11章の1節から7節。
はい、読んでくれる。これ、とっても素晴らしいところ。

さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山の麓のベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスは二人の弟子を使いに出して言われた。向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのないロバの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて引いてきなさい。もし、なぜそんなことをするのかという人があったら、主がお入り用なのです。すぐにまたここに送り返されますと言いなさい。そこで出かけてみると、表通りにある家の戸口にロバの子が1匹つないであったので、それをほどいた。すると、そこに立っていた何人かが言った。ロバの子をほどいたりしてどうするのですか。弟子たちがイエスの言われた通りを話すと、彼らは許してくれた。そこで、ろばの子をイエスのところへ引いていって、自分たちの上着をその上にかけた。イエスはそれに乗られた。
これはもう、とてもとても素晴らしい出来事で。あ、誰も乗ったことがないロバって書いてあるでしょ。
はいはい。

誰が。誰も乗ったことがないロバっていうのはね、乗ったらどうなるかっていうと、もう暴れて暴れて、すぐに放り出される。もうロバに乗る、人を乗せるっていうことを教えるのに専門家が訓練しなきゃなんない。馬も同じなのよ。馬にただ乗っかり、乗っかったら動いてくれると思ったら大間違い。もう蹴っったりされて大変なのね。
人を乗せるのに慣れてないって。乗せたことがないから、
慣れてないどころか、ものすごい腹を立てるわけなのね。ところが、イエス様が乗られると、そのロバはすごい柔和になって、イエス様にちゃんとついてて、あ、そう、どこへでもあなたのとこ行きますって言わんばかりに。これは奇跡。神様ご自身の柔和さによって、うん、起こっていることなのね。なるほど。そして、イエス様はベタニアで、うん、この誰も乗ったことのないロバに乗って、そしてオリーブを越えて、そしてエルサレムに入場なさったんだけれども、たくさんの神学者が色々と考えがあるんだけれど、私はもう絶対的に。イエス様は子羊の門から入場なさった。

はい。
私はもう、このベタニアのことを知っている人たちはみんなそう思うんだけど。あ、子羊の門から入られたって。そして、いよいよ、救い主となられる一時間が待ってるんだけど。
この旧聖書にこのことが預言されてるのね。はい。だから、ゼカリア書9章9節読んでみて。
はい。シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。
それも雌ロバの子のロバに。
これが預言。その通りに、めの雌ロバの、子のロバだ。でね、まだ生まれて間がない、誰にも訓練されたことのないロバに乗ってるお方が来られるのが、王ですよ。シオンの娘たち、大いに喜びなさいっていう預言なのね。
ほんとだったら、うん、人を乗せたら大騒ぎして、そうそう暴れるような子を、イエス様を乗りこなしたの。
乗りこなしたっていうよりも、なんかロバも感じてたのではないかなって思うんだけど、柔和さですよね。そして、この羊の門からロバに乗って入られた。それがもう、このベタニアの素晴らしい素晴らしい意味、深い意味っていうわけ。でもね、ベタニアのことってね、もっとあるのよ。だから今度来た時に。
いや、やっぱりベタニアに意味があったんだなと。こんなに深い意味があるとはね。驚きだけど、また聖書がよくわかるようになるしね。
うわ、もう、こんな質問してくれてほんとありがとう。もうなんかベタニアのこと思い出してね。私もわくわくしちゃった。
ほんとだね。じゃあ、次もまたどんな意味が隠されてるか、ぜひ教えてね。
はいはいはい。また聞きに行きます。

それでは、本日のおさらいをします。イエス様の時代には、ユダヤの羊飼いたちはベタニアに集まっていました。それは、祭司たちが生贄に適している子羊や山羊を羊飼いから購入していたからです。イエス様がエルサレムに来られると、ベタニアを拠点として泊まられていました。それは、神の子羊としてお生まれになったイエス様は、ベタニアでメシアとしては贖い主として選ばれるためでした。

動画リンク↓

https://youtu.be/Z_iO9lT83kQ?si=eGB2CnW0cTPVVGln

【動画メモ】口伝律法って何?|第32話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)

神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。

イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。
たちゃん、イスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん。
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。
栄子おばさん、こんにちは。
あら、たけちゃんいらっしゃい。
やあ、おばさん、元気。
元気よ。私、すっごい元気よ。たけちゃんは。
あー、元気元気。もう今日もね、この前もこの学びをして、続きをしたくてね。
おばさんと聖書を学ぶと、もっと学びたくなっちゃう。
嬉しいこと言ってくれる。今日の質問は何。
今日はね、律法。モーセの律法っていうの、よく聞くけど、口伝律法っていうのも聞いたことがあるんだけど、そのことについてね、おばさんに聞くしかないかなと思って。
難しい質問をやってきましたね。口伝律法っていうのは、口で伝えられた律法。
うんうん、うんうん。そういう風に書く。
そうそうそう。モーセの律法っていうのは、神様から直接いただいたことを書いてある律法なのね。だから、口伝律法っていうのは、ラビって呼ばれる先生方が、モーセの律法を守らなかったら、私たちはまたバビロン捕囚みたいなことになるから、きちっと守りなさいって、各地域で先生方が教える、その時に助言をする。この安息日に仕事をしてはいけない。それを守るために、仕事をしないようにっていう。それを、どのくらいが仕事で、どのくらいが仕事じゃないかっていうの。なるほど、ハンカチを持っちゃいけないていうね。
安息日。安息日。
ハンカチを持っちゃいけない。ハンカチを持つということは、働いたことになる。汗かくから、働いたことになるから、持っちゃいけない。安息日を大事にしなさいっていうのは、モーセの律法にも書かれている。やっぱり、それをもっとこう、詳しくとか、助言をする。働かないようにするのよって。汗かくっていうことは、働いたことになるから、ハンカチを持っちゃいけないよって。
じゃ、細かいことが伝えられたってことだよね、先生。
そうそう、そうそうそう、先生方が、このモーセの律法を守るのには、仕事しちゃいけないから、ハンカチ持っちゃいけない。つば吐いちゃいけないとかねえ、そういう助言を出した。
でも、暑い日だったら、ハンカチはね、持って歩くことになるんじゃない。
日本だとじーっとしてて、汗をかくじゃない。
うん。

でも、イスラエルの土地はすごく湿度が低いから、うん、こう、汗が出ると蒸発する。すぐに蒸発する。だから、汗が流れるっていうのは、働いた時なのね。
働いた証拠。それで働いたって言われちゃうんだね。
そうなのよ。それで、つば吐いちゃいけない。
なんで。
なんでつば吐いちゃいけないかっていうと、こう、ぺっとつばを吐くと、すっごい乾燥してるから、土がぱさぱさなのね。
はいはい。

砂のような、埃のような。ペっとつば履くと、それがふわって動くわけね。そしたら耕したことになるってね。働いてるのと同じだって、そういう助言が、何千個も足されたっていうのが口伝律法。
つば吐いただけで仕事をしたって言われちゃうのはね。
その土が動いたっていうだけじゃなくって、万が一そこに種があったら、その唾液によって芽が出る、うん、そしたら種まいたことになるってね。そういう風な考えを持って、助言がだんだんだん広がっていったのね。
それはいつから伝えられたり、増えたの。
出エジプトした時っていうのは、430年エジプトに住んでたのね。だから、エジプトにはものすごい神々がいるから、その神の中にイスラエルの神っていうのが足された。この神様は、奴隷解放の神様は、その他にいっぱい神様がいるというわけで、そういうので偶像礼拝してたんだけれど、結局はバビロン捕囚に連れて行かれて、そして私たちは大変なことをしてしまった。私たちの神様は全能の神様なのに、雨が必要な時には全能の神様のとこ行かないで、雨をくださるバアルの神様のとこに行った。子宝が欲しい時にはアシュラの神様のとこ行ったって。それで、偶像礼拝したから、バビロンでもうこの偶像礼拝一切やめましょうというので、律法学者っていうのが、バビロンで生まれてるのね。

そうなんだね。

で、そこで、バビロンから戻ってきてからは、各地域で、みんな、もう、子供の時から、モーセの律法を教えましょうという、それに助言を足していった。
モーセの律法に助言を足そうっていうところは、いいことだったはずなんだよね。律法学者は、正しく、神様の言葉を教える先生であった。
そうそう、まあ、よかった。一生懸命だった。
うんうん。
それ。それが、もう、だんだん、だんだん、大きくなっていって、そして、世界離散したときに、この大切な口伝律法、モーセの律法なんか守らなくても、これを守ってたらモーセの律法は絶対破らないんだから、これが大切なんだっていうので、世界離散していくときにそれを書き留めた。
へえ。

口伝律法っていうのは書いちゃいけないのね。

ほうほう。

だけど、書き留めないとユダヤ民族がこの口伝律法を忘れてしまうっていうので、ミシナっていう、そういう本に出来上がらせて、離散していく人たちがそれを持っていったのね。今もそれを。それが今、凄い重要なユダヤ人の書物ですよね。これ掟が全部入ってるんだけど、この中にそのミシナと呼ばれる口伝律法も入ってんのね。これが口伝律法の仲介書であり、モーセの律法の仲介書であり、全旧約聖書全部の仲介書。これをタルムードって、ユダヤ人がすごく重要にしている、それが、その中に口伝律法が全部書かれている。
ハンカチを持っちゃいけないとか。
そうそうそう、そういう。これに書かれて。
えー、そうなんだ。じゃあ、口伝律法が最初は書かれてなかったわけでしょう。イエス様の時代はまだ書かれてなかった。
この律法学者がどこで生まれたかって言ったらバビロンでしょ。だからバビロンに行く前は偶像礼拝してた。それをもう、偶像礼拝全部やめて、そしてイエス様が来られる用意をせんばかりに、もうユダヤ人が全部律法を守るという時代に入ったわけね。ただ、それが行き過ぎて、ちょっとモーセの律法よりもすごくなった。
なるほど。
口伝律法の方が、もう大事に守らなきゃいけないっていう感じになっちゃった。
なっちゃったわけね。じゃあ、イエス様も、その律法学者たちの律法を守ってたの。
イエス様。モーセの律法をただの一つとして、破ることのないお方だったんだけど、口伝律法はわざと、守らないようになさったというようなとこが聖書に出てくるのね。
わざと。
わざと。どうして。どうして。で、それはもう、あなた方はこういう風に聞いています、でも私はこう言いますっていう風に、その口伝律法っていうのを、すごくけなしてらっしゃったのね。そして、つば吐いちゃいけないとか、ハンカチ持っちゃいけないっていうのは、これは神様からじゃなくって、こういうのは人が、人間が足したものだからっていうので、ちょっとそのことがね、とても詳しく書かれてるのが、うん、ヨハネの9章なの。
はい、ヨハネの9章1節から3節まで読んでみて。
またイエスは道の途中で生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問していった。先生、彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。イエスは答えられた。この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の技がこの人に現れるためです。
この今読んだとこ、ちょっとおかしいなと思うとこない。もうね、なんで、生まれたばっかりの赤ちゃんが罪を犯して、そして盲人で生まれてくるようなことになるのか。この人の罪ですか。それとも親の罪ですか。生まれた時から盲目だったのに、生まれた赤ちゃんとか、生まれる前の赤ちゃんが罪を犯したんですかって聞いてるわけでしょ。これはおかしいと思うんだけど、ユダヤ人は、赤ちゃんが胎の中にいるときに、ボンボン蹴って母親を苦しめたり、はい、神経に触って痛い思いをさせたりっていうようなことが起こると、それは胎の中から罪を犯したっていう風に考えてるのね。
赤ちゃんがお母さんのお腹の中でお母さんを苦しめたのは、その、その、その赤ちゃんの罪だと。
そう。
だから盲目で生まれた、それとの罪で盲目に生まれたっていう風に考えていたの。
え。そういうことなんだね。そういう質問なんだ。これは。
もしユダヤ人のそのしきたりがわからなかったら、これおかしいよっていうので、答えがわからないんだけど、イエス様のおっしゃったのは、この人の罪でもない。両親の罪でもない。神の技がこの人に現れるためですっておっしゃってるでしょ。
はい。

これは、私たちにしたら、なんで盲目に生まれることが、神の技が現れる。
そうだね。
神に栄光を表すって、思うんだけれども、ユダヤ人のメシア像っていうね、メシアというのはこういう人ですよっていうのが、生まれつき目が見えない人は癒されることないけれど、そのいう人が癒されたら、その人がメシアって言ってるわけね。だから、そのメシアの技が現れるために盲目で生まれてきていたということが表されてるのね。わたしが夜にいる間、わたしは夜の光です。イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を盲人の目に塗って、言われた。行ってシロアム(略して言えば遣わされたもの)の池で洗いなさい。そこで彼は行って洗った。すると見えるようになって帰っていった。つばで泥を作ってんのね。

うんうんうん。
これはユダヤ人の伝説なんだけど、長男の唾液は癒しの力があるって言われてるのね。
そう。

それもあって、つばで、泥作られたと思うんだけど、それを目に塗って、シロアムの池に行きなさいっていうのね。今、シロアムの池のね、絵がこんな感じであるんだけど、ここ、これがお水なのね。で、ここ、階段がこうあるんだけど、これがシロアムの池。こういうところに行って、そして目を洗いなさいって言って、ここ、目を洗ったら、見えるようになったわけねえ。そうしたら、周りの人が大騒ぎになってるわけ。で、この時っていうのは、仮庵の祭り、うん、仮庵の祭りには、この、こういう階段が神殿まで続いてるんだけども、水汲みの儀式というのがあるのね。8日間それが続くんだけど、祭司長だとか、もう長老だとか、パリサイ人たちが行列でやってきて、その水を汲むわけなのね。
ほう。

で、その場所に行って、目を洗いなさいって言ってるのね。イエス様は。わざわざ、人が集まってる、祭司長とかも集まってるところに行って、洗ってきなさいって命じたっていうこと。もう群衆は、イエス様がメシアだって騒いでいるんだから。だけど、イエス様は、このユダヤのリーダーに、メシアが来たのですよということを見せたかったわけなのね。
じゃあ、ここに集まっていた群衆だけじゃなくて、リーダーたち、先生とか祭司たちっていう人たちが、みんなこの人の目が見えるようになったっていうのを見てるって、もう目の前で起こっている。だから大騒ぎになってるわけね。
リーダーたちも、ここにメシアがっていう風な興奮を。
してくれたらいいんだけど。でね、そうしたら、もうほんとに救い主がやってきたっていうことになる。みんなが指折り数えて待ってる人。それが、彼らは、これが安息日であったがために、うん、この泥を作っていらっしゃっていうのがね、許せないっていうような出来事が起こってんのね。
うん。

これ、14節から16節なんだけど、読んでくれる。
ところで、イエスが泥を作って、彼の目を開けられたのは安息日であった。こういうわけで、もう一度パリサ人も彼にどのようにして見えるようになったかを尋ねた。彼は言った。あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私は今見えるのです。
そうすると、ここ続きに書いてあるのは16節パリサイ人たちの中のある人々が、その人は神から出たのではないって言ってるのね。これはメシアじゃないって言ってんのね。安息日を守らないからだって言ってるわけね。安息日に泥を作っちゃいけないはずなのに、彼はこのイエスは泥を作ったっていうことを非難してるわけ。

なるほど。
もう、だからこんな嬉しいことがないというはずのことが、口伝律法のために、この人が神から出たはずがないっていう結果になってんのね。

本当なら、群衆たちがもしかしたらメシアかもしれないって言ってるみたいに、パリサイ人たちもこの目が開かれる事件を見てるんだから、そう、メシアじゃないかと喜んだらよかったはずなのに。
そうなのよね。ええ。それなのに、自分たちの口伝律法の方がもっと大切で。
うん。

この人は神から出たのじゃないって言ってるわけなのね。

へえええ。

そして、生まれつき目が見えないっていうのは、メシアが起こしている奇跡だから、こう、不思議でしょうがないのね。
うん。

それで、ここではユダヤ人たちが親を読んできてるのね。18節、19節、読んでみて。

はい。
しかし、ユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが、見えるようになったということを信じず、ついにその両親を呼び出して訪ねて言った。この人はあなた方の息子で、生まれつき盲目だったとあなた方が言っている人ですか。それでは、どうして今見えるのですか。
これ。ひょっとしたらこの人は、うん、一時的にちょこっと盲目になって、うん、それで癒されたんだ。かもしれないと思ってるのね。あーあ、もし生まれつきだったら、絶対メシアだから、それで両親を呼び出してる。それでも信じない。
ええ、これは生まれつきの盲目をだった人を見えるようにしたんだから、メシアだったってもう信じざるを得ない状況。その状況。しかし、もしメシアであると信じたら、一つすっごい困ったことが起こるのね。それは、ローマっていうのはカイザルが王で、カイザル以外に王があってはいけないのね。
うんうんうん。

だから、この人がメシアですよって言ったら、ユダヤ民族全員がイエス様のことを王にするので、そしたら大戦争になる。カイザルが王だって言ってるのに、もう一人が出たと言い出したら戦争になって。
そのために彼らはその安息日を破るようなものが大勢メシアであるはずがない。それプラス、自分たちの教えを守らないでけなすような人が、メシアであるはずがない。それプラス、ここでメシアだった場合はローマと戦争になるって。こういうことがいっぱい重なって、リーダーがどうしても拒否したわけね。
やっぱりローマと戦争するのも避けたい。
そうなのよ。そのために、ついに彼らは、イエス様を殺す計画を立てるっていうような状況になっちゃったのね。イエス様を殺す計画を立てようっていうのも、聖書に書いてある。それも聖書に書いてあるんだけど、これは、まずはね、このことがね、どれほど大切であったかっていうのが。リーダーがもしイエス様を信じていたのなら。もしメシアを信じていたのなら、本当にもう全ユダヤ民族が救われてたわけね。
そっか。リーダーがイエス様のことをこれがメシアだって言ったら、他の人はみんな、みんな信じる。でも、イエス様のことをリーダーがこれはメシアじゃないって言ったら、他の人も信じない。困った民族でね。ええ。それで、マタイの。23章13節で、この時にイエス様がとても悲しい言葉をおっしゃったのね。マタイ23章13節読んでくれる。
災いだ。偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは人々から天の国を遮っているのです。
自分も入らず、入ろうとしている人々も入らせません。

結局、律法学者たちが、神の御国の扉の鍵を持ってたっていう意味なのね。扉を大きく広げて。うん。自分たちも入るし、みんな入れることができたのに。それをピシャっと閉めて、誰も入らない、自分も入らないという状況にした。これは、彼らが一粒の一声を持っていたっていうこと。この人ですって言えば、全ユダヤ民族がイエス様を信じてたのにっていうね。そういうことなのね。だから、もうほんとに、この出来事っていうのは、悲しい出来事なのね。
彼らがイエス様をメシアだと言ってれば良かったのになって思うってこと。
みんなが大騒ぎしてるんだから、メシアだろうかって言ったら、そうです。どうなると思う。この方です。もうユダヤ民族全員がイエス様の所へ来てひざまずいていた。また、外国に住んでいるユダヤ人もそのことを聞いて大急ぎでやってきた。

なるほどなるほど。

そうすると、何事が起こるかっていうと、ローマと大戦争になるという状況。
そっか、それも避けたかったっていうのが結構大きな理由になったの。
それを避けたいがために、メシアかもしれない、おそらくそうだろうっていうとこまで来ても断る。
なるほど。もうこの状況を見たらメシアだとしかもう言いようがないような状況なのに、戦争になっては困るので、もう断固としてメシアだとは言わなかった。
言わなかったのね。それだから、救いをそのような形で神様を信じないために、逃してしまたっていうのが、このイエス様の時代なのね。今、クリスマスでしょ。綺麗だと思わない。何にも言ってくれなかったけど、もうほんとに一生懸命で、こうして飾ったのよ。で、このユダヤっていう所も、イエス様がお生まれになる用意をして。今まではもう偶像礼拝で、どこに行っても偶像があったのを綺麗にお掃除して、イエス様をお迎えするっていう、そのような状況であった。それなのに、リーダーたちが断ったわけね。リーダーたちがこの方ですって言ってれば、絶対的にみんながメシアとして受けてたのね。
そう取ることができる。
そうなのよ。だから、私たちはユダヤ人のリーダー達が、イエス様がメシアだったということを知るようにって祈っていかなきゃダメなのね。

今もユダヤ人のリーダーたちが、メシアだと、イエスはメシアだと、早く言ったらいいなと、そのように僕たちも祈る。
そう。そしたら、イエス様がまたおいでになりますね。
やっぱそういう風に祈らなきゃなって、また今日もちょっと思わされたわ。わかってきた気がする。うん。
もう、たけちゃんの難しい質問だったけど。
いや、でも、うんと新しい視点で、また聖書わかったからね。嬉しいな。
たけちゃん。また帰ってきて。たちゃん来るたんびに元気になるからね。
それでは、本日のおさらいをします。ユダヤ人は、体内にいる赤ちゃんが母親に苦痛を与えることは、まだ生まれていなくても罪を犯していると信じていました。それゆえ、生まれつき目が見えない人は、その人の罪か親の罪の結果だと考えていたのです。イエス様の時代の人々はローマ軍を恐れていたので、イエス様がメシアであったとしても受け入れた故に、ローマと戦争することを恐れました。ユダヤ民族のリーダーによって神の御国の扉は閉ざされました。これは逆に見れば、ユダヤ民族のリーダーがイエス様がメシアであると理解すれば、神の御の扉が開くと考えられます。この実現のために、私たちクリスチャンの祈りが必要です。

それでは皆様ごきげんよう。シャローム。

動画リンク↓

https://youtu.be/lv3pgxF5Rns?si=8oONjxcLtFFePQ2P

【動画メモ】旧約聖書の赦されない罪⁈|第31話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)



神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。

イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。

たちゃんイスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん。
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。

お邪魔します。

たけちゃん、いらっしゃい。
あー、こんにちは。
よかった。よく来てくれました。
元気。元気。ほんと、すっごい元気でね。いや、たけちゃんちがこう、よく来てくれるから、余計に元気になって。
前回はイエス様を拒否したために、民族的にイエス様をメシアとして信じられなくなったという、それが許されない罪であったっていう話だったのよね。
そして、今日来た時には、許されない罪って、じゃあ、旧約聖書の中の旧約聖書の時代にもあったのっていうことを聞きたいねって言って、素晴らしい質問なので、じゃあ民数記から行きましょう。
はい。

民数記の13章。この場所では、12部族のところから1人ずつ選ばれて、12人の官者を約束の地カナに送っているところなのね。だからこの民数記13章でけいくん、32節と33節読んでくれる。
彼らは探ってきた地についてイスラエル人に悪く言いふらして言った。行き巡って探った血は、その住民を食い尽くす血だ。私たちがそこで見た民は皆、背の高い者たちだ。そこで私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がイナゴのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。
これが10人の人が伝えた報告。あと2人はヨシュアとカレブが、うん、いやか、神様が共にいるんだから、相手がどんなに大きくても大丈夫だから行きましょうって言うんだけど、この10人がね、ネフリムのような人たちがいたっていうのを、うん、民族的に信じてしまったのね。で、ネフリムの地っていうのは、イスラエルの民がヨシュアに連れられて約束の地に入ってから、ただの一度も出会ってないの。
うんうん。

だからこれは偽りの報告だということがわかるわけ。
ネフィリム人には一回も会ったことがない。
1回もあってない。
だけど、こういう報告をしてる。確かにね、背が高かった人がいたかもしれないけど、ネフリム人って言ったらもうみんなこれはノアの時代にいたもう巨人だから恐ろしくて震えあがってるのね。そして14章の1節では、全会衆は大声を上げて泣き、民はその夜泣き明かしたって書いてあるのねえ。だから出エジプトしたものの、この荒野で、うん、約束の乳と密の流れるところに連れて行くって言ったのが、結局それは成就しないんだっていうので泣き明かしているわけなのね。
このことと許されない罪っていうのとはどういう関係がある。
これは民族的に、この人たちっていうのは、出エジプトしてから文句言って文句言って文句言って文句言って文句言ってるわけね。もう、続いて続いて、これは10回目なのねえ。だけど、ここで、民族的に神様が共にいらっしゃるから大丈夫という信仰がなくなってる。うん。

だから、ああ、イエス様の時にパリサイ人たちによって民族的にメシアだと信じられなくなったのと同じ状況が起こってるわけね。そこで、神様がお怒りになってどういうことをおっしゃるのか。うん。たけちゃん、14章の20節から23節、読んでくれる。
はい。

主は仰せられた。私はあなたの言葉通りに許そう。しかしながら、私が生きており、主の栄光が全地に満ちている以上、エジプトとこの荒野でわたしの栄光と、わたしの行った印を見ながら、このように十度も私を試みて、私の声に聞き従わなかった者たちは皆、わたしが彼らの先祖たちに誓った血を見ることがない。わたしを侮ったものも皆それを見ることがない。
ここで個人的に神様ごめんなさいって言っている言葉は、赦されてる。
なるほどね。
彼らのお言葉通りに赦そうって言っているから赦されたんだけれども、この赦されない罪っていうのは民族的に行ってるの。で、だからこの民族っていうのは20歳以上の人のことなんだけど、この人たちが死に絶えるまで約束の地に入らせない。これはもう変えることができない。もう神様、10回目で堪忍袋の緒が切れた。なぜ堪忍袋の緒が切れたかっていうと、もう民族的に神様を信じられなくなってるからねえ。民族の交流であるということを決して忘れないように。
うん。

赦されない罪ってのは、旧約聖書にも確かにこういうのに出てくるっていうこと。これはもう確実に赦されない罪ね。個人的には許してあげるよと。だけど、この人たちが死に絶えるまでだから、次の世代には許されない罪は繋がってないのね。
うん。じゃあね、おばさんね。イスラエルの民以外にも許されない罪を犯した民族。それ、聖書の中に旧の時代にいたの。
うん、そのイスラエルの神とほかの民族とは比べられないんだけど、同じような出来事がソドムとゴモラに起こってるのね。
うんうん

だから、ソドムとゴモラを、あの場所、その場所を。あー、これは創世記19章24節と25節。けい君、読んでくれる。
そのとき、主はソドムとゴモラの上に硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民とその地の植物を皆滅ぼされた。
これは罪が天まで届いたと言うほど悪いことをし続けたので、これがね、今現在のソドムとゴモラの地。今、ソドムとゴモラの場所ってわかってる。
うん。

大体この死海の南側、この場所にソドムとゴモラがあったんだろうって考古学者が言うのね。なぜなら、ここには昔、大きな泉があったという、その跡が見つかってるのね。それと、ものすごいたくさんのお墓が見つかってんのね。だけど、草一本生えない。草一本生えないの。ねえ、そんなに変わっちゃう。こんなにひどい変わり方。これがソドムとゴモラに起こったことなんだけど、ソドムとゴモラというところがどんなところであったかというと、これ、創世記13章の10節、読んでみるね。
ロトが目を上げて、ヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツァルの方に至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこも潤っていた。
これ、主の園のようにっていうのは、エデンの園のように潤っていたっていうのね。
うんうんうん。

エデンの園のように潤ってた場所がこんなんなってるわけ。こんなんなったの。草一本生えない。
全然違う。

ねえ。
うん。

すごいでしょ。だから結局、罪が天まで届いて破壊された。この、もうここ、これ以上は赦さんっていうので破壊されたわけ。
ソドムもゴモラも赦されない罪を犯したってこと。
赦されないところまで罪を犯したという言葉の方が正しいと思うのね。だけど、イスラエルの民が赦されない罪を犯すっていうのは、神様はこういう約束してらっしゃる。あの、創世記の12章3節で。うん、アブラハムに約束していることなんだけど、あなたを祝福するものを私は祝福し、あなたを呪うものを私は呪う。地上の全ての民族はあなたによって祝福されるって言われてるのね。
うん。

ていうことは、イスラエルの民がソドムとゴモラのように破壊されてしまって、これ、四千年前に起こったことだから、うん、四千年間来れない。

うん。

だけど、ここでは地上の全ての民族を祝福するって神様がおっしゃってる。それを成就させるために、イスラエルの民っていうのは民族的に許されない罪を起こしたんだけども、次の世代では続かない。で、必ず復帰する。何のために復帰する。それは、全ての民族を祝福するために復帰する。

じゃあ、イスラエルの民族の場合は、もう一回復帰するためにこうなることはなくなったということ。
うん、これはね、もうすごくいい例外なのね。約束の民の場合は、もう堪忍袋の緒が切れたから赦さんって怒られてるんだけども、ソドムとゴモラのようなことはならない。なぜなら、神様は全ての民族を愛してらっしゃるので、すべての民族を祝福したいために、この民を保ってらっしゃる。
そっか。じゃあ、ソドムとゴモラの場合は、赦されない罪じゃなくて、破壊される罪であって、イスラエルのために、その赦されない罪っていうのは、神様がもう一度イスラエルをこう回復させようと思って、やっぱ今も、待ってらっしゃるってことなんですね。
今も待ってらっしゃる。何のために待ってらっしゃる。全ての民族を祝福するために。

うんうん。
これがイスラエルの犯した罪とソドムとゴモラの違いっていうんだから、これ、選民とただの異邦人との違いっていうのは、ものすごい大きい違いなのね。
うん。
僕たちの場合は。

そう、僕たち。僕は何よ。僕は何よ。祈る。天のお父様って祈る。ん。祈るでしょ。そしたら、お父ちゃまじゃないですか。はい。個人的交流でしょ。えー。たけちゃん、悪いことするでしょ。たまにでも、お父様はごめんなさいって言うといいよ。もうこれからしないようにねって赦されるでしょ。
はい。

だから、赦されない罪っていうのは。うん、個人的には起こらない。

うん。

民族的に起こるのね。で、神学博士フルクテンバーム先生は、赦されない罪っていうのは、イスラエルの神にだけにしか起こらないっておっしゃって。
イスラエルの民だけが犯す罪っていうこと。

うん。
ていうことは、復帰することが、次の世代、その後の世代で復帰することができるっていう。それが、その時代の人たちによって赦されない罪が起こされた。
じゃあ、僕たちは赦されない罪を犯すことはない。悔い改めるとか、天の父さんと個人的に祈ることができるかと。
そういうこと。

うんうん。

民族的交流っていうのは、この中の一人だけが神様のとこ行くんだからね、第三者がはいはい、そしてこの民族の罪を許してくださいって代表者が言ってるのね。だけど、この中で個人的に神様ごめんなさいって言ったら、個人的には赦してあげてるんだけど、民族的罪は、これも民族的罪で、いい子も悪い子もみんな神罰受けるわけ。
例えば、さっき赦されない罪、その、ソドムとゴモラは、そうじゃなくて、うん、イスラエルにだけ起こるっていうのを聞いて、さっき民数記のところ、ヨシュアとカレブとか十二人が行ったところ見たけど、他にもその赦されない罪ってのは、旧約聖書に出てくる。
出てくるのよ。第ニ列王記にそのことが出てくるんだけど。えー、たけちゃん。はい。21章の3節から6節まで読んでくれる。
彼は父ヒゼキヤが打ち壊した高きところを築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシュラ像を作り、天の万象を拝み、これに仕えた。彼は、主がかつてエルサレムにわたしの名を置くと言われた主の宮に祭壇を築いたのである。こうして彼は主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。また、自分の子供に火の中をくぐらせ、卜占をし、まじないをし、霊媒や口寄せをして、主の目の前に悪を行い、主の怒りを引き起こした。
なんというひどい王様。まして彼の父親は高きところを全部壊していって神様に真剣に仕えたのに、彼は全部立て直して、イスラエルの神様に背を向けて天の万象を拝んだ。だからこの6節に主の御怒りを起こしたっていうことが書かれているのね。ほんとに残念な結果をもたらしてるんだけど。けいくん、この第ニ列王記の21章11節読んでくれる。
ユダの王マナセは、これらの意味、嫌うべきことを、彼以前にいたエモリ人が行ったすべてのことよりもさらに悪いことを行い、その偶像でユダにまで罪を犯させた。
エモリ人よりも悪いっていう言葉。この旧約聖書にエモリ人っていうのは、ものすごい悪い民族として例えられてるのね。その人たちよりもひどい罪を犯したと言って、神様がお怒りになってるのね。じゃあ今度たけちゃんね、23章の25節から27節読んでくれる。
ヨシュアのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、モーセのすべての律法に従って主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも、彼のようなものは一人も起こらなかった。それにも関わらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあの苛立たしい行いのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを沈めようとはされなかった。主は仰せられた。私がイスラエルを移したと同じように、ユダもまた私の前から移す。わたしが選んだこの街エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの宮も、わたしは退ける

赦されない罪に達したっていうことを神様ご自身がおっしゃってるわけね。で、このヨシア王っていうのは、マナセの孫に当たる方なんだけど、彼はもう精神を尽くして、力を尽くして、モーセの全ての律法に従ったって。彼のような素晴らしい人は前にも後にもなかった。ていうことは、この王の中で一番素晴らしい人、誰って言うとダビデです。でしょ。でも、ここではダビデよりも素晴らしかったっていうことを言っているのね。しかし、マナセが犯したその罪のために、主の怒りは静まらなかったわけなのよね。それで、けいくん、21章に戻って14節読んでくれる。
わたしはわたしの物である民の残りの物を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となり、奪い取られる。
はい、これがバビロンが襲ってくるという結果になったのね。で、バビロン捕囚っていうのが一体何であったかっていうと、バビロン捕囚はダビデ王朝がずっと続いた。このダビデの王朝の木っていうのがすぱっと切られた。そしてまだに現在に至るまでダビダ王朝は戻ってない。だからマナセの罪によって赦されない罪を犯してバビロン捕囚に連れていかれたんだけど、ダビデ王朝はそこで終わった。バビロン捕囚から戻ってきて、やっぱり復帰する。それは全ての民族を祝福したいから神様がそれをなさる。

でもマナセ一人のしたことなのに、こんなに国民全員がその被害を被らなきゃいけないていうことなんでしょ。
不思議な民族でね、この人たち。王がイスラエルの神に真剣に仕えると、みんな民族的にそうするのね。そして王が霊媒を使ってもう悪いことばっかりしてって言うと、民族全体がそれをするというね。不思議な民族なのね。

そして、罰せられるときは、たがみんなまとめて罰せられちゃうっていうことでしょ。
本当にね。あのユダの荒野じゃなくて、四十年の荒野の流浪の旅。

うんうん。

あの時も入ってたのよ。ヨシュアもカレブも入ってたのよ。だから良い子も悪い子も四十年間流浪の旅してるのね。そして、バビロン捕囚に連れて行かれるっていうときは、ダニエルのような素晴らしい人も、そしてエゼキエルのような人も、バビロン捕囚に連れていかれてんのね。
じゃあ、それはイエス様の時代の赦されない罪を犯してっていうことと同じようなことだよね。あの時も、やっぱり良い子も悪い子も、信じてる人も、拒否した人も、あと十二使徒たちも、みんな世界離散にならなきゃいけなかったってことでしょ。そういうことで、あのヨハネも入ってたからね、世界離散にはね。だから、民族的に沈没を受けるその時は、良い子も悪い子もみんなひっくるめて民族的に罰を受けるというわけね。
だから、マナセ以外、その以前の王たちも、神様からいみ嫌われることとかはしてたけど、民族的に神罰を受けた四十年間の流浪の民の時と、バビロンの捕囚の時、その時の罪というのは、やっぱ特別にこう、赦されない、また永遠に赦されない罪として、旧約聖書にも、またイエス様の時代にも聖書に書かれてるってことなんですね。
そうなのよ。聖書には3回許されない罪を犯されたっていうことがきちっと書いてあるわけね。そして最初の時は文句言って文句言って文句言って文句言って文句言って、10回目に、はい、赦されない罪。そしてこのマナセの時は悪い王が何度も何度も何度も何度も偶像礼拝してるんだけど、マナセの時に堪忍袋の緒が切れてる。イエス様の時はまにまたメアだからもうみんなが指折り数えんばかりに待ってたのに、イエス様をメシアとして民族的に受けられない状況にさせた、その赦されない罪というわけね。
民族的交流ってそういうことなんだね。
でも私は選民でなくてよかったと思う。個人的交流。
そういうことか。
いや、ほんとにね。今日も来てくれてありがとう。いや、よく来てくれました。
本当によく聖書がわかったなと思って嬉しいです。
いや、嬉しいこと言ってくれる。ありがとう。
行きましょうね。ね、また一緒に。

うん。
栄子おばさん、また来ます。また来てください。はい。
今日はありがとう。それでは、本日のおさらいをします。
旧約聖書でイスラエルの民は赦されない罪を二回起こしています。一回目は荒野で神様に文句を言い続けたために、四十年の流浪の旅をしなければならない宣告を受けました。神様とイスラエルの交流が民族的交流であるため、赦されない罪はイスラエルの民だけに起こることです。良い子も悪い子も民族的に罰を受けます。クリスチャンの私たちは、神様と個人的交流があるため、個人的悔い改めによって赦されますから、赦されない罪に陥ることはありません。

動画リンク ↓

https://youtu.be/D6ur2XAhgEo?si=1vCTIAH_nm36H69d

【動画メモ】永遠に赦されない罪⁈|第30話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)

神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。

イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。
たちゃん、イスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん。
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。
栄子おばさん、こんにちは。こんにちは。
たけちゃん、いらっしゃい。
またまた今日もたけちゃんと一緒に、そう、続きのバイブルスタディーしたくてね。
あ、嬉しい。元気だった。元気だったわよ。もう神様から力いただいてるからすごい。
いや、このあいだの続き、このあいだは、パリサイ人達がイエス様を拒否してるところのお話だったわよね。
イエス様が行っていた奇跡を彼も見ていたんだけれども、こう、批判的な。
いや、そう。
こころの片寄りがありすぎるか。
それで真理が見えないっていう状況ね。うん。
じゃあ、もうほんとにそのことが確実に起こったっていう場所があるので、マタイの12章からいきましょう。はいはい、じゃあ、けいくんにマタイ12章を22節から24節まで読んでもらえるかな。
その時、悪霊につかれて目も見えず、口もきかない人が連れてこられた。イエスが彼を癒されたので、その人は物を言い、目も見えるようになった。群衆は皆驚いて言った。この人はダビデの子なのだろうか。これを聞いたパリサイ人は言った。この人はただ悪霊の頭、ベルゼブルの力で悪霊どもを追い出しているだけだ。
これはもう確実にメシアの奇跡。うん。目も見えない、耳も聞こえない人が連れてこられた。その人が目の前で癒されたっていうと、群衆は小さい時からメシアが来たらねって教わってるわけでしょ。だからもうみんな大騒ぎになって、ダビデの子ではないだろうかって言ってるのはメシアではないだろうかって叫んでるわけで。このみんなが大騒ぎしているときに、パリサイ人たちが、この人のやってることはメシアのやってることじゃなくって、悪霊の頭、ベルゼブルの力でやってるんだっていうような、これは大変恐ろしい言葉をなんですよ。もうなんて言ったって神様しかできないような奇跡なのに、そういうふうに拒否したのね。
なんでこう、彼らは待ちに待ってたあのメシア像の人が来たのに、こういう風にしてベルゼブルの力によって追い出してるとかって、こういう風に言ったんですか。
うん。これはね、イエス様がメシアの奇跡をなさってるっていうのを聞いてる人がだんだん、だんだん多くなって、もうイエス様にぞろぞろと人がついていったわけなのよね。
その時のパリサイ人とか教師たちよりも、イエス様の方にこうついていこうとするとか。

そうそう。そうそう。だから、もう、このイエス様が憎たらしくなっていく。
憎いとか、妬ましいとか。
はい。うん。
そういう妬みのようなものをパリサイ人はだんだん、だんだん持ってた。
妬みを持ってたって悲しい出来事なんだけど、妬みであったっていうことが、ローマ人でもそれが見えてたっていうね。マタイの27章で書いてあることは、ポンテオピラトにイエス様を渡した時に、ピラトは彼らが妬みから自分に彼を渡したっていうことを分かってて、分かってたっていうことが書いてあるのね。
普段見てないポンテオピラトも。
でも、それが見えるっていうぐらいに、このパリサイ人たちがイエス様のことを妬んでたのも考えられない、ちょっと考えられない結果が出てるわけなのね。
すごいことなんだ。

うん。じゃあ、続き読んでたけちゃんに。はい。12章の30節から32節。読んでもらおう。
わたしの味方でないものは私に逆らうものであり、わたしと共に集めないものは散らすものです。だから、わたしはあなた方に言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らう言葉を口にするものでも許されます。しかし、聖霊に逆らうを言うものは、誰であってもこの世であろうと、次に来る世であろうと赦されません。
これがイエス様の彼らに対する審判のような言葉ねえ。この世であろうとっていうのは今の世の中なのね。次に来る世っていうのはメシア王国なのね。だから、神の御国でも、今の世の中でも、もう絶対赦されない罪をあなたが犯したんですよということをおっしゃったのね。
赦されない罪。
赦されない。
え。赦されない罪っていうのは。全能の神様、創造主を目の前で見て、もう絶対的にメシアしかなすことができない奇跡を次から次と見て、それでも拒否したっていうのは。イエス様は100パーセント人間だったんですよね。だけど、100パーセント神様なんですよね。その人間であったイエス様の神様の働きっていうのは、聖霊様によってなされてる。その聖霊様がなさっているこのことを全く拒否して、悪霊の頭、ベルゼブルの力でやってるのだと言ったことは、もう永遠に許されない罪になりましたよと言われた。

永遠にっていうのはどういうことだ。
永遠にって、この人たちの話なのね。このこの時代の人の話ね。
うんうんうん。

だから、永遠に神様から離れてしまう。ゲヘナに入ってしまうよという。
じゃあ、ユダヤ人は絶対に許されないっていうこと言ってる。
そうじゃない。そうじゃなくって、ユダヤ人が絶対に赦されなくなったっていうのではなくて、イエス様を目の前で見ながら、この聖霊様の御働きを目の前で見ながら拒否した。この時代の人は、その時代の人たちが永遠に赦されない罪を犯した。だから、次の世代の人たちには、その罪は継がれていないんだけれど、この親たちの罪の償いをしなきゃならないっていうね。苦しみ。世界離散のような苦しみをしなきゃならない。

だけど、赦されない罪は、この時代の人たちだけ。
うん、このことをね、うん。マルコの福音書で見るともっとはっきりするので、けいくん、マルコの福音書3章28節から30節読んでみて。
誠にあなた方に告げます。人は、その犯すどんな罪も赦していただけます。また、神を汚すことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊を汚す者は誰でも永遠に赦されず、永久の罪に定められます。このように言われたのは、彼らがイエスは汚れた霊につかれていると言っていたからである。
はい。ここでイエス様は、聖霊を汚す者は誰でも永遠に赦されない。その30節にその理由、その答えがピシッと出てるのが、このように言われたのは、彼らがイエスは汚れた霊につかれてると言ったからであると、はっきりとここでイエス様がこの赦されない罪を犯したという理由を表していらっしゃるわけね。

うん。

ここで、このイエス様、マタイの12章に戻ってほしいんだけど、ここでイエス様が、この赦されない罪がこの時代の人たちに来てるっていうことを言ってるので、12章の41節と42節、たけちゃん読んでくれる。
はい。
ニネベの人々が裁きの時に、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で食い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナよりも勝ったものがいるのです。南の女王が先の時に、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、みなさい。ここにソロモンよりも勝った者がいるのです。
ここでイエス様が強調してらっしゃる言葉。これが、今の時代の人々のところに来るというね。ニネベの人々が、この裁きの時が来た時に、ニネべに説教したのはヨナでしょ。ヨナは預言者。ヨナが、ニネベの人って、ものすごい残酷で、ものすごいひどい悪い人たちだから、神罰が来ますよって説教しに行ったわけね。
うんうんうん。

ところが、この悪い人たちが、聞いたことも見たこともないような、ヨナの説教を聞いて悔い改めてるわけでしょう。ところが今、全能の神様、創造主がヨナよりもはるかにはるかに素晴らしい人たちが現れているのに、この時代の人々、この時代の人々よ、今の時代の人々が拒否した世よりはるかには素晴らしい人がいるのに聞かなかった。シバの女王っていうのは、遠いとこからソロモンの知恵を聞くために来てる。それだけのパッションがあったっていうわけですよね。ところが今彼らが目の前にしているのは、ソロモンよりもはるかに素晴らしい全能の神様ご自身なんだと。それをあなたがは拒否して悪霊につかれたものと言っている。
今の時代っていう言葉をイエス様がおっしゃったわけね。だから、この今の時代の人たちにいったいどのようなことが起こるかっていうね、その預言をイエス様がおっしゃってんだけど。けいくん、この12章の43節から45節読んでくれる。
汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を探しますが見つかりません。そこで、出てきた自分の家に帰ろうと言って帰ってみると、家は空いていて、掃除してきちんと片付いていました。そこで出かけて行って、自分よりも悪いお墓の霊を七つ連れてきて、みな入り込んでそこに住み着くのです。そうなると、その人の後の状態は初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまたそういうことになるのです。
この箇所、何度も読んだことある。
うん、これは。でも、どういう。どういう意味なんだろう。

これは、ずっとこの今まで読んできたとこの続きなのよ。
うんうん。

イエス様を拒否したその続きを言ってるわけなんだけども。ユダヤという国があって、うん、そして神殿があった時代なのね。だけど、ローマというローマ帝国が住み着いていたわけね。だから、この時代っていうのは、ちょうど悪霊がユダヤ人の世界に住んでいたというような状況だったのね。そういうようなところにイエス様が現れて、天からのみことばと、天からのみ力を与えて、結局、ユダヤ民族を清めていらっしゃるのね。だから、ヨハネの15章3節では、あなた方はわたしの言葉によって清められているのですという言葉があるんだけども、このユダヤは、イエス様の御言葉、イエス様のティーチングを聞いたことによって、ユダヤは清められて、お掃除されたような。でも、清められてるって言われてるのに、彼らはイエス様の言葉には聞き従わなかったって。
そう。だから、結局は、家が空っぽになってるところに、神様をお迎えするべきなのね。
うん。

神様をお迎えすれば、聖霊様があそこにお住まいになるんだけど、もう悪霊は探し回って次住むところを探してるんだけど、どこも見つかんないから、戻ってきたらきちんと片付けられてるんだけど、誰も住んでないわけ。それで、7倍ひどい悪霊を連れて戻ってくるという言葉が、イエス様の語られた預言なんですよね。これは預言なんですよ。まだ起こってないから、それがその通りになったんだけど。
うん。

この7倍ひどい結果になりますよっていうのは、モーセの律法で約束されている預言なのね。だから、レビ記の26章21節、たけちゃん読んでみて。
はい。
また、もし、あなたがたがわたしに反抗して歩み、わたしに聞こうとしないなら、私はさらに、あなた方の罪によって、7倍も激しくあなたがたを打ちたたく。
はい。これは、あなた方が私に聞き従わなかったらっていうのは、神様に聞きたわなかったら、イエス様、神様ですよ、そしたら、その罰せられるはずのものが7倍ひどく罰せられますよという律法なのね。
マタイ12章のところの7つの霊っていうの。
そうそう。それで、7つの霊になるわけなんだけど、これ、ちょっとレビ記、オープンしてるから、33節も読んでみたいと思うのね。
今、レビ記の26章開けてるんだけど、33節にこういう言葉があるの。
わたしは、あなたがを国々の間に散らし剣を抜いてあなた方の後を追う。あなた方の地は荒れ果て、あなた方の町々は廃墟となるということが、これが7倍ひどくなるよという言葉。これこそ世界離散ね。世界離散、あなた方を国々の間に散らすっていうのは、うん、これはもうバビロンでもなければ、1つや2つの国じゃない、もう国々に散らしますよっていう言葉なのね。
じゃあ、その赦されない罪の結果、この7倍の世界、世界離散のようなの、この苦しみにあってしまったってこと。
そう、世界離散の苦しみっていうのは、ユダヤ人はキリスト殺しって言われてるから。もう年中剣が追ってきてたの。今のレビ記の言葉、その通りね。それで、もうユダヤ人大量殺戮っていうのが、ずっと起りながら過ごして、1900年間の流浪の旅の最後にホロコーストが起こってる。これが、イエス様の時代の人たちが赦されない罪を犯した結果、7倍ひどい悪霊が入ってきたっていうのが。それまではローマが治めてたけど、お国もあったし、神殿もあったのね。
うんうん。うんうん。

だけど、そのお国もなくして、神殿もなくして、世界中流浪の旅をしたその苦しみ、イエス様にとって、もうどんなに悲しく苦しいことだっただろうと思うのね。そうねえー。だから、この人たちがもしイエス様を受け入れていたのなら、うん、あの1900年の苦しみはなかったんだっていうことがわかるわけね。
パリサイ人たちがリーダーだから、彼らが拒否したってことは、ユダヤ人みんなが、そういう神様の罰の下にあるようにやってるっていうことだ。
そう、ユダヤ人っていうのは、神様と民族的交流があるのね。
民族的交流。
うん。私たちは神様と個人的交流があるね。うん、お父ちゃんってね、個人的交流なんだけど、ユダヤ人は民族的交流で、この民族の中のたった1人、大祭司だけが神様のとこへ行くんだから、代表だけが行くんで、民族的交流。この民族の先生方が、うんうん、イエス様を拒否したために、民族的にこの方がメシアだって信じられなくなってるんですよ。先生方が、メシアが来たらね、メシアが来たらねって教わってたんだから、指折り数えるように待ってたのねえ。それなのに、いざ来た時にはこの人じゃないって言ってるのだから、あーもう、絶対にこの方だと思ったんだけど、先生方が違うっていうんだから、違うんだなっていう悲しい結果になったわけね。
民族的交流ってそういうものなんだね。

そう。でも今は世界離散はもう終わっている時代。
うん。

世界離散終わって、今は元に戻っているわけでしょ。
うん。

じゃあ、この赦されない罪はもう終わってしまったって。赦されない時はもうとっくに終わってて、次の世代には来てないんだけれども、この神罰は終わったっていう状況なんだけれども、民族的にメシアを拒否してるので。
うんうんうん。

民族的にそれを悔い改めてメシアをお迎えするまで御再臨っていうのはないのね。だから今戻ってきてるのは、その民族的悔い改めをする用意、御再臨の用意のために彼らは連れ戻されてる。
じゃあ、その永遠の赦されない罪ってのは、もうその神罰ってのはもう終わってて、今すごい神様がこの回復、イスラエルを回復しているっていう、この希望の時代ってことですよね。
今はものすごい希望の時代だから、もうサタンがなんとかして彼らをなくしてしまって、イスラエルをなくしてしまって、再離散させようとしてるから、私たちはもうほんとにイスラエルが守られるように祈らなかったら、また再離散しちゃう。そしたら、今度集められるまで1000年も2000年も待たなきゃならないから、今イスラエルのために祈るのは、この御再臨の用意、彼らの悔い改めの用意のお手伝いっていうことになる。
いいこと学んだ。
こちらこそ、またぜひその話聞きに来ます。
おばさん、今日もいろんなこと学べて楽しかったです。また来ます。
また来てちょうだい。
それでは、本日のおさらいをします。ユダヤ民族のリーダーが妬みによってメシアを拒否した故に、彼らは赦されない罪を犯す結果をもたらしました。
それはイエス様の時代の人々のみに関わってくる罪です。
しかし、神様はイスラエルの民を民族的に世界離散させました。
ローマ時代の苦しい時代より7倍ひどい時代が来るとイエス様が言われたように、この時代の子孫がこの罪の刈り取りをする結果となり、イエス様の時代より7倍ひどい世界離散を1900年間経験することになるのです。

 

https://youtu.be/77XkiZ-ervU?si=-pjL_2tro-f_jH4g ←動画リンク

【動画メモ】ユダヤ人のメシヤ像は、人間⁈|第29話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)



神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。
イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。
たちゃんイスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん。
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。
今日も来てくれてありがとう。まあ、出張どうだった。
いや、出張はやっぱ忙しかったんだけどね、けいちゃんがおばさんとバイブルスタディしてるって聞いてたからね、それを思い出すとね、もうやきもち焼いてね、早く着たいなって思ってたんだよ。
可愛いこと言ってくれるね。今日は何を質問してくれるの。
長年疑問に思ってたんだけどね、イエス様はご自分がメシアだとは言わなかったでしょ。
言わなかった。じゃあ、ユダヤ人はどうやってメシアを見分けることができたのかなと、それが疑問でね。僕、同じ質問あったので、すごく興味深いです。
素晴らしい質問なのよ。じゃあね、まずはイザヤ書から見ていきますね。イザヤ書35章たけちゃんに読んでもらおうかな。35章の3節から5節
弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。強くあれ。恐れるな、見よ、あなた方の神を復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなた方を救われる。その時、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳は開く。
ここで、5節で目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳が開くって書いてあるでしょう。これはメシア像なの。このイザヤ者35章の今読んだところが、ユダヤ人のメシア像。こういう奇跡を起こす人を見たら、あ、メシアだってすぐわかる。
うん。

それをメシア像って言うのね。

へええー。
だから、みんながそのことを教わっていたのね。
誰に教えられていた。
それはね、ユダヤ人ていうのは、もう各コミュニティで、もう小さなグループで、各コミュニティに律法学者、パリサイ人たちがいて、律法を教えてるのね。で、その律法を教えてる先生っていうのが、子供の学校の先生でもあるのね。だから、小さい時から御言葉を暗記して、律法を覚えて、そして、メシアのことをたくさん聞いていたの。
メシアが来れば、ここに書かれてるように、目が見えない者が見えるようになったり、耳が聞こえない人が聞こえるようになったりするっていうのが教えだったんですか。
ね。そうそう、そうそうそう。だから、ルカの3章の15節には、民衆は救い主の来るのを待っていたって、もう指折り数えるばかりに待っていたっていうことが書かれてるのね。だから、ユダヤ人のこの民族的にみんなメシアに早く来てほしいっていう、その全員がその思いをして、お膳立てができたところにイエス様がお生まれになった。
じゃあ、ほんとにみんな待ち望んでたんだろうね。
みんなが待ち望んでたのね。ええ、じゃあね、ヨハネがイエス様に質問してることころがあるので、マタイの福音書11章2節から6節までけい君、読んでくれる。
さて、獄中でキリストの御業について聞いたヨハネは、その弟子たちに託してイエスにこう言い送った。おいでになるはずの方はあなたですか。それとも私たちは別の方を待つべきでしょうか。イエスは答えて、彼らに言われた。あなた方は言って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足の萎えた者が歩き、ツァラアトに侵されたものが清められ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が述べ伝えられている。誰でも私につまずかないものは幸いである。
これがイエス様のお答えです。ここを3節で、ヨハネが獄中にいるんだけども、使い送っておいでになるはずのお方はあなたですか、それとも他の人を待つべきですか、あなたがメシアですか、それとも他の人を待つべきですかって質問してる。それに対してイエス様がお答えになった時に、うんうん、私がメシアだから次の人待たなくていいですよとはおっしゃらなかったですね。それで、それを言わないで、自分たちが見たり聞いたりすることを伝えなさい。目の見えない者が見て、足萎えたものが歩き、これもう絶対メシアの奇跡なのね。ツァラアトに侵されたものが清められ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられているってね。
うんうん。

これ全部何を言ってるかって言ったら、イエス様が大声で私がメアですよって言ってるわけ。
ユダヤ人が聞いたらわかる文字、言葉なんですね。
うん、もうこれ1つ1つがメシアがやる奇跡だっていうか、並べられてるってことなんだね。
ここに書かれているイエス様のお答えっていうのがメシア像なのね。
ツァラアトが癒されるっていうのも、これはメシアの。
うん、これはね、聖書の中、モーセの律法の中だとか、聖書の、旧約聖書に書かれてないんだけれど、イエス様の時代っていうのは、モーセの律法は書かれている律法で、うん、ラビ達先生方が教えている言葉を、うん、口伝律法って言うんですね。口で伝えられて書いてない口伝律法っていうのがあったのね。で、その口伝律法の中で、メシアはツァラアトの癒し主っていう言葉を伝えられてたわけ。だから、そのツァラアトが清められてますよっていうことを付け加えてるのは、もう、みんながそれを待ってた。
じゃあ、イエス様の時代に、ツァラアトの人が沢山いたんですか。
もうね、随分沢山いたらしくて、ユダの荒野だとか、それからネゲブの荒野だとかね、そういうとこに追いやられていたのね。で、彼らは遠くから見て、あの人たちは癒されないけど、メシアが来たら癒されるんだよっていう風に言われてたわけね。
その、これを聞いた人たちは、メシアだっていうことがわかったってこと。
絶対的にメシアだっていうことがわかったっていうことになるわけ。
うん。じゃあ、イエス様の時代の人々っていうのは、こう、メシアの奇跡をイエス様がしたっていうのを、もう間近で見たんで、目の前で見てるわけ。
なんで彼らはイエスをメシアとして受け入れなかったんですか。
すごいいい質問なのね。ええ、それはね、山上の垂訓の丘の説教っていうの聞いたことあるでしょ。マタイの5章、6章、7章ですよね。あの説教を聞いた先生方がみんな腹を立てたその理由っていうのをちょっと見て。えー、読んでほしいんだけど、たけちゃん。はい。マタイ5章の38節から40節読んでみて。
目には目で歯には歯でと言われたのをあなた方は聞いています。しかし、私はあなた方に言います。悪いものに手向かってはいけません。あなたの右の方を打つようなものには左の方も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には上着もやりなさい。
はい。これは、モーゼの律法が隣人を愛しなさいっていう言葉がある。その隣人を愛しなさいという言葉を中心的に教えているのではなくて、復讐の部分、目には目を、歯には歯をっていうことを先生方が教えていたわけね。だから、それをあなた方が聞いています。という言葉。これが口伝律法。聞いています。しかし、私はこう言います。と言って、先生方の教えをけなしてるっていうか、叱っていらっしゃる。今度、けいくん、43節と44節読んでみて。
はい。自分の隣人を愛し、自分の敵を憎めと言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
これ、逆さま言ってるわけね。うん。あの、先生方の教えてるのは、自分の隣人を愛し、敵を憎めっていうようなことを言ってるんだけれども、そうじゃない。隣人を愛するっていうことは、敵のために祈ってあげる、敵のことを祝福してあげるということが隣人を愛することですよ。だから、あなた方が聞いていること、これ口伝律法ね、聞いていることは間違いですよっていうことをおっしゃって、
そういう裏話がここの箇所にはあったんだ。
そういうことを。だから、先生方が、こういう私たちの口伝律法をけなす人がメシアであるはずがないっていう考えを持ったわけ。
ラビ達も、イエス様がメシアしか行えない奇跡をしてるっていうのも見てたの。
見てたんですよね。だから、本当だったらついに来られたって言って当たり前なんだけれども。ちょっとマルコの2章の出来事見て。マルコの2章1節から4節、たけちゃんに読んでもらおう。
数日経って、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。それで、多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。この人たちに、イエスは御言葉を話しておられた。その時、一人の中風の人が四人の人に担がれて御許に連れてこられた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられる辺りの屋根をはがし、穴を開けて、中風の人を寝かせたまま、その床を吊り下ろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、子よ、あなたの罪は許されましたと言われた。
これはすごい信仰。さっきイザヤ書を読んでもらったでしょ。イザヤ書の35章の5節では、その時、足なえは、鹿のように飛び跳ねるっていう言葉があるから、この中風の人っていうのは全然動けないわけですよね。だけど、彼を連れてきた人っていうのは、このお方は、絶対的にメシアだって信じてるわけよね。だから、信じているが故に、人の家の屋根を剥がすなんていうことは、とんでもないことなんだけども、それをしてでもね、前に吊りおろせば、絶対癒されるっていう信仰を持っていたわけなのよね。うん、あなたの罪は許されたって、その信仰でね、うん、許されたよっておっしゃったんですけど、けいくんのその続き、5節から9節読んで。
イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、子よ、あなたの罪は許されましたと言われた。ところが、その場に律法学者が数人座っていて、心の中で理屈を言った。この人はなぜあんなことを言うのか。神を汚しているのだ。神お一人の他、誰が罪を許すことができよう。
彼等が心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。なぜあなた方は心の中でそんな理屈を言っているのか。中部の人にあなたの罪は許されたというのと、起きて寝床をたたんで歩けといのと、どちらが優しいか。
中部の人にあなたの罪を許されたというのと、起きて寝床をたたんで歩けっていうのと、どっちが優しいか。
うん。

これどっちも神様しかできないことなのね。
うんうん。

ですから、ここでイエス様が、そのただメシア像っていう考えの人たちに、私は神ですよということを伝えてるのね。しかし、先生方は、この人は神に対する冒涜を言ってるって批判をしているわけなのよね。罪を許すっていうのは、神様にしかできないことでしょ。
そうそう、そうそうそう。

でもイエス様は神様なのに、それを批判する人たちがいたってことなの。
うん、これ、すごくいい質問なのね。なぜならば、ユダヤ人にとっては、メシアは人間なんですよ。絶対に神様じゃないのね。神は一つで天におられるお方だから。メシアは神様から遣わされる人であって、神ではないので、神様しか許すことができない罪を許すっていうのは、これは冒涜だって批判しているわけなのね。実はこのイザヤ書、さっき読んだところには、3節に神は来てっていう言葉があるのね。
うん。

神は来てあなた方を救われるっていう言葉が書いてあるの。それを全然理解してないの。うん、彼らは全くそれを理解しないで、神であるはずがないという風にとっているので、たとえメシアしかすることができない奇跡をしていても、自分たち先生方のことをくさす、
それに神であるような冒涜を言う、これがメシアであるはずがないというところから拒否するっていうのが始まって、その業を見たけど、
業を見たけど、うん、
それ信じれなかった。
こうね、人間が批判力をたくさん持ってしまうと、真理が見えなくなってしまうのね。そ、自分たちが偉いと思いすぎたっていうのが大いにはあると思うんだけど。
神は来てってさっきの書いてあるのに、
書いてあるの。
メシアは神じゃないって思ってた。
イスラエルに聞きなさい。神は一つであるという言葉があるでしょ。だから、メシアが神だったら、じゃあ天の神様はどこにどうなるのかということでしょ。
うん。

三位一体っていうのは、イエス様も父なる神様も聖霊様も一体なる一つの神様であるということなんだけども、ユダヤ人は一つは一つなんだから、2つ目があるはずがないっていうね、そういう考えを持ってたわけなのよね。じゃあ、たけちゃん。はい、今度、さっきの続きの2章の10節から12節読んで。
はい。
人の子が地上で罪を許す権威を持っていることをあなた方に知らせるために。こう言ってから、中風の人にあなたに言う、起きなさい、寝床を畳んで家に帰りなさい、と言われた。すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、皆の見ている前を出て行った。それで皆のものがすっかり驚いて、こういうことはかつて見たことがないと言って神を崇めた。

これはもうすごい興奮すべき出来事で、イザヤ書35章のこのメシア像っていうのをずっと聞きながら育ってるから、その時、足なえは鹿のように跳び跳ねるっていう、もう寝床、こう、降ろされてきて動けなかった人が、その寝床をくるくるくるっと巻いて、ちょちょ持って、さささっと出ていってるんだから、もうみんながこんなすごいことは今まで見たことがないって言ってるのね。だから群衆が待ちに待ったメシアがついに来られたという思いをしてるわけ。
うんうんうん。群衆はほんとにすごく待っていたっていうことなの。
そうなのよ。だから、この時にパリサイ人たちも同じ思いになってくれてたら、そしたらイスラエルは皆救われてたわけね。
パリサイ人もこれを見ていたんですよね。
そうそう、そうそう。それを見ていたんだけれども、その、わたしが神ですよと、この権威を、人の子はこの権威をいただいてるんですよ。罪を許されましたよ。だから癒されたから立ち上がりなさい。たたんで行きなさいって言ったわけですよね。で、それに対しては、このお方こそって思うんじゃなくて、この野郎、神様ぶり上がってって批判をして、ものすごい残念な結果をもたらしてんのね。で、この続きはまだまだあるのよ。まだまだあるんだけれども、今日のところはここまでということになるんだけど。や、本当にね。メシアを指折り数えて待っていた人たちが、目の前でついに見れたっていうね。その興奮をたけちゃんにもけいくんにも経験してもらいたいと。
うん、そうだね。なんか、次の学びがやっぱり楽しみになるよね。またききたいな。今日もいい学びをありがとう。

また戻ってきます。はい、
来てください。

それでは、本日のおさらいをします。イザヤ書35章の御言葉が、ユダヤ人のメシア像の土台となっていました。生まれつき目の見えない人や、足の萎えた者を癒すことができるのはメシアの印でした。イエス様はパリサイ人たちの教えを叱り、隣人を愛する、敵を愛する教えをなさいました。パリサイ人たちは、イエス様が自分たちの教えを非難し、罪の許しを宣言したので、神を冒涜しているものと見てイエス様を批判していました。

動画リンク↓

https://youtu.be/ARdI1gpw6EQ?si=ll7x_msQJmW_Ptv8

【動画メモ】神様が木を植える⁈|第28話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)

神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。
お邪魔します。あ、栄子おばさん、やってきました。
いや、やっと、やっとね。たけちゃんが連絡してくれて。
来ました。
まだ少しかかる。
あ、ほんとですか。忙しいんですね。
ねえ、帰ってきたら一緒に来て。
あ、ほんとですね。一緒にたけちゃんと来ます。
今日は。今日また質問したいんですけど。イスラエルについて今学んでて、その、イスラエルがその終わりの時代とかってよく言われてて、ご再臨が近いっていうのをよく耳にするんですけど、イスラエルにおいてご再臨が近いっていうような印とか、なんか起こったりしてるんですか。
うん、もうそれは山のようにあるの。聖書の中の預言が毎日のように成就するっていうぐらいにすごいことがあるのね。もうこないだもたけちゃんと随分そのお話してたんだけど、そうね、一番素晴らしい印っていうのからいくと、うん、やっぱりエゼキエル書36章がいいかな。うん、もう山のようにあるので、ちょっと迷っちゃうんだけど、今ほんとに素晴らしいことが起こってるので、エゼキエル書36章34節から36節読んでくれる。
この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべてのものに荒地とみなされていたが、耕されるようになる。そのとき、人々はこう言う。荒れ果てていたこの国はエデンの園のようになった。廃墟となり荒れ果て、覆されていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになったと。あなた方の周りに残された諸国の民も、主であるわたしが覆されたところを立て直し、荒れ果てていたところに木を植えたことを知るようになる。主であるわたしがこれを語り、これを行う。
これを読むと、この荒れ果てた地は通り過ぎる全ての者に荒れ地とみなされていたって書いてあるでしょ。
はい。

これがパレスチナと呼ばれている土地だったの。それが19世紀まで続いてたの。全く荒れ果てていたの。
それ。どうやってそんなんわかるんですか。
証拠としてみると、トムソーヤの冒険っていう本を書いたマークトゥエインっていう人知ってる。これ、この間ね、たけちゃんともお話してたんだけど、この人が19世紀後半に、はっきり言えば1876年なんだけど、パレスチナの地を旅行してるのね。
うーん。

で、そのことを本に書いてる。で、残念なことに日本語には出てないんだけど、エヌスナボードっていうね、この本の中に、パレスチナの様子が書いてあるのね。で、この中にはね、この過去の素晴らしさ、ソロモンの栄光だとか、ローマのは繁栄だとか、いろんなことが書いてあるんだけど、その素晴らしかったところ、そして、ものすごい肥沃だった土地が、うん、今は静かな、もうほんとに音もなくなってしまう、乏しいところになってしまったっていうことを書いてあるのね。
ええ。

そして、雑草に占領されているっていう、その雑草っていうのは、羊が食べれない、動物が食べれない、使い物にならない雑草に占領されてて、ちょこっとした茂みもないし、小さな木もないって書いてあるのね。そして、静かな悲しみだけがそこに残ってるって。そして、旅をする中、人っ子一人出会わないっていうね。その言葉が1876年に書かれてあって、そしてそれも書いたところがガリラヤ地方だとか、タボール山のところで書いてるのね。
そうなんや。僕が以前イスラエル行ったときは、その地域ですごく緑があった場所やねんけど、いつ頃からこう、そういう風にして耕されていったの。
ちょうどね、19世紀の終わりにポグロムっていうものすごい大きな反ユダヤ主義があったのね。
うん。

そのためにロシアを追い出された人たちが多いのと、殺された人たちもたくさんいるのね。で、その人たちが行くところがなくなった時に、パレスチナの土地が売りに出されてたの。たくさん。それで、彼らが土地を買って、そしてパレスチナの地にやってきたら、もう不毛の地になっちゃってるのね。荒れ果ててっていうのね。それがね、19世紀の終わりだったんだけど、彼らが到着した所っていうのはね、もう本当、不毛の土地で、荒れ果ててたの。これがタボール山で、うん、今はすごい肥沃な土地なんだけど、これ、白いのは家じゃないのよ。
え。これ何これ。

岩。え、こういうところだったのねえ、そういうところを開拓していったのね。で、パレスチナの土地がたくさん売りに出されてたから、アメリカの農業の人が、やっぱりこの約束の地に住みたいっていう人がいたのよね。ええ、それで、その土地を買って、で、アメリカの農業の人が木を植えていったんだけど、全然育たない。畑を作っても何にも実らない。で、もう命からがらっていうような形で、領事館の助けでアメリカへ引っ越していったっていうね。うん、そういうことを私聞いたんだけど、これ。これが今の20世紀のタボール山なんだけど、ちょっとこれ持ってみて。ちょっと見て、こんなに違うのよ。
すごい。
全然違うでしょ。で、アメリカ人が植えてもダメだったんだけど、ユダヤ人が植えたらこんなに肥沃な土地に変わっていった。
なんでアメリカ人が同じ時期やのに植えてもダメやったのに、ユダヤ人がこう植えたらこんなんなったん。
神様が36節で主であるわたしが覆されたところを立て直し、荒れ果てていたところに木を植えたことを知るようになる。主であるわたしがこれを語り、これを行うって書いてるでしょ。だから他の人たちが来ても、復活しないんだけど、約束の地に約束の民が来ると、神様がそれがすくすく育つようにしてるの。すごいでしょ。
すごいね。
だから、今現在のイスラエルが前のイスラエルとどう違うの。今現在のイスラエルは聖書に関係ないんじゃないのってね、色々な人が言うんだけど、もう聖書の預言が次々と成就していて、まずはこの荒れ果てた地は通り過ぎるっていうお言葉自身が、あそこ荒れ果ててなかったから、その時代に書かれてるから、うん、だからそれが成就したていうことでしょ。荒れ果てたことが成就した。そこへ約束の地が、約束の民が戻ってきた。そして今、エデンの園のようになってたでしょ。
なってました。すごい。なんか見たところ、なんか、マンゴ畑とかアボガドとか、そんな果樹園がたくさんありました。
うん。あったんでしょ。イスラエルっていうのはね、四国の大きさなの。たったの四国の大きさなのね。それで、3分の2が荒野なのね。
うんうん。

だから、四国の半分以下のところでできた産物っていうことをこう考えると、もうこれは絶対神様だって思うの。果物だとかお野菜だとかっていうのを、ヨーロッパに、ヨーロッパの方だとか色々なところに輸出してんだけど、年間15万トンなの。
すごいね、
輸出してるのね。そして、ヨーロッパの冬っていうのは何にも生えないから、お花は全部冬はイスラエルから輸入してるの。果物とか、それだけじゃなくて、お花も。それが、15億本ぐらいお花を輸出してるんだけども、バレンタインデーって知ってる。
知ってます。はい。

男性が女性にお花をあげる時なのよね。で、それは2月だから、ヨーロッパにはお花がないので、そうね、うん、だから、イスラエルの中からお花を摘んで、それはね、本数で数えられないって言えるぐらい、5000トンのお花が、バレンタインズデイのために航空便でヨーロッパに送られる。すごいでしょう。それで、四国の半分以下のところで育っているって考えると、ほんとに神様の祝福があればこそ、それプラスお国の中の食物っていうのが93パーセント、全部国内で採られる。
すごい。

こんな、なんかこう、肥沃な土地の、日本でも65パーセントなのに、イスラエルで、しかも四国の半分以下のところで90パーセント以上。それプラス輸出してる。
いや、すごいね。
すごいでしょ。これは神様が、諸国のために、うん、わたしがこれをしてるんだよっていうことを見せるためだっておっしゃってる。その通りのことが起こってるわけね。
そうなんや。すごい。なんか聞いてたら、すごく、なんか、水とか豊かそうだけど、そう、水とか、すごい豊かなんですか。
あそこはね、荒野が多くて、雨量が少なくて、日本で、例えば九州なんかで1日に500ミリだとか800ミリのは雨量があったなんて聞くけど、それは最も雨量のあるガリラヤ地方の一年分の量。じゃあ、どうしてこんなに食物が育つのっていうと、ドリップシステムって聞いたことある。
いや、聞いたことない。
ドリップシステムって聞いたことがない。うん、これはね、ユダヤ人が、うん、発明したものなの。
へえ。

この水のないところで、どれだけたくさんの食物を、また植物を育てていくかっていうの。で、これ。ここにあの細い線があるでしょ。これ、パイプが通ってんのね。これ、パイプの。うん。はい。そして、ここに点滴のような、点滴のような形でととって、水をこの根っこが必要な部分だけ与えてるの。だから見てごらん、根っこだけが、根っこの部分だけは濡れてるでしょ。他、全然濡れてないでしょ。
すごい節約して水を使ってる。
うん、それでもうすっごいすくすく育って、毎年豊作なのね。
すごい。

ドリップシステムっていうのをユダヤ人が発明したんです。今も世界中で使われてる。砂地のようなところでも素晴らしい畑を作ることができるのね。
すごい。
それとね、うん、今現在起こってる、起こり始めてることっていうのがね、イザヤ書35章のね、1節ちょっと読んで。
荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。
うん、荒野と砂漠は楽しみ、荒れ地は喜び、花を咲かせるって書いてあるんでしょ。書いてる。うん。そのことがね、今起こってるの。あのネゲブの砂漠っていうのは、もう雨量が少なくて、ほんとに荒野っていう感じなんだけど、今現在、ネゲブの荒野で摘まれるお花っていうのが、1日100万本なの。
1日に。1日に100万本の花がネゲブの砂漠で摘まれるのね。
そして、パランの荒野っていうところがあるのね、パランの荒野っていうところで温泉が見つかったの。
温泉が。
温泉が見つかって、だけど、あそこは暑くて暑くて、温泉に入りたいと思う人が誰もいない。そう、そんなとこ。うん、そういうところで、温泉がボンボン湧いてるから、それが暑いので、それを冷やす。
うん。

冷やして、畑を作ってんですよ、その水で。
へえ。

そこの農業の大きくなってること。

そうなんや。
そこで採れる食物がすごい。もうね、バスなんかで走ってたら、何にもないところ、荒野をずっと走ってて、ぽつんとすっごい農業が出てくるの。あ、それがそこの、パランなのね。パランのキブツパランっていう所なんだけど。そして、そこを通り過ぎると、また何にもないとこずっと走るのね。
へえ。

で、その、その素晴らしい農業は。ええ、その、温泉の水で賄っているのよ。

なんかその、熱々のというか、温泉の温かいお湯をわざわざ冷やして、それをこう、なんか農業に使うって、すごい。日本人の僕たちからしたらもったいない感じする。
そうね。でも、もう彼らにしたら、お湯であろうとなんであろうと、水が湧いてるんだからありがたいんですよね。
そっか。四国の大きさの半分以下のところでそれがなされてるってことはすごい。やっぱイスラエルって、やっぱ神様が約束の地って言われただけあるってことですよね。
うん。それだけじゃなくって、神様ご自身が木を植えてるって書いてあったでしょ。
そうか。

うん、だから、わたしがこれを行い、わたしがこれをするって、えー、おっしゃってるから、この豊作っていうのは、神様の祝福なしではありえない。
うんうんうん。

その豊作っていうのが、イスラエルはただの豊作って呼べないのね。
うん。

大豊作っていうのが毎年続いてるのね。
はい。

すごいでしょ。そしてね、寒い国にしか取れないりんごだとか、なし、さくらんぼっていうのがたくさん取れるのね。そして、南国にしかできないバナナ、マンゴー、そういうものが、ナツメヤシなんか南国にしかできないからね。そういうものがものすごくたくさん採れるの。
そっか。けど、そういうことが。この預言、二千年以上前に書かれた預言が、今こうやってその成就を見れてる時代っていうのは、やっぱ今この時代、すごく特別な時代ってことですよね。
あ、もうほんとに神様ご自身が木を植えて、神様ご自身が素晴らしい。約束の地を再建なさってるのね。

そうだよ。うん。すごい時代ですね。
すごい時代でしょ。で、もうみかん類って言ったら、ものすごい色々あって。え。スウィーティって聞いたことある。けいくんは。聞いたことない。

聞いたことない。

え。これね、スウィーティっていうのね。ここにスウィーティって書いてあるんだけど、このスウィーティっていうのはもう世界中で有名なの。
そうなんすか。

あんまりおいしいから。へえ。で、日本にも来てんのよ。
そうなんすか。

日本にもね、来て、もう日本でも随分有名になって。そういうもの。もし見つけたらぜひ買って食べてみて。
ぜひ食べてみます。ほんとにね、あの荒野の暑さの中でこの美味しさができるんだなってね。それを思わされるような品物。美味しい。
そうか。それは全部預言の成就ってことが、やっぱただ時代が流れているわけじゃなくて、神様が約束しておられることが今のイスラエルに起きてるってのは大きなことですね。
そうそう、そうそう。あの、世界中から今、ご自分の民を集めていらっしゃるでしょ。で、ご自分の民を世界中から集めてるっていうのは、今が初めてなの。史上初なの。エジプトから救い出したとか、バビロンから連れ戻ったとこはあるけれど、世界中からっていうのは初めてなのね。その預言が山のようにここにあるわけなのね。だから、この食物を見る。また、19世紀がどんな状況で、今がどんなかっていう、それを見る。そうすると、神様がなさってるっていうことを否定できないっていうような、それが今のイスラエルなのよ。
そうなんや。今日も色々イスラエルについて教えてくださってありがとう。また来ます。
すぐ来てね。今度タケちゃんと一緒に来て。
たけちゃんと一緒にすぐ行きます。はい、ありがとうございました。
さて、今日のおさらいをします。パレスチナの土地は19世紀には荒れ果てていました。そんな時、売りに出されていた土地をユダヤ人が購入して開拓しました。不毛の土地となっていたところを主が覆されたところを建て直し、主が木を植えられると預言されていることが近代イスラエルで成就しているのです。四国ほどの大きさのイスラエルから多くの果物や野菜、そして15億本ものお花が日本を含める多くの国々に輸出されています。
それでは皆様、またお会いしましょう。

動画リンク↓

https://youtu.be/sEEpWvkhdqs?si=s7PThvlqE63-y75F