しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

復活を信じ、目が開かれ天国を見る

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しかし、わたしたちの国籍
は天にある。

ピリピ3-20

 

フィリピ人への手紙では信仰を実践的に生かすよう励ましています。そしてパウロ信者たちに彼らの真の市民権が天にあることを思い出させています。この御言葉が私たちの日常生活与える影響を考えてみます。

 

エス様が復活されたということを信仰できるようになると、全ての淀んだ思いが流れ始め やがて大きな本流が現れてきます。活の教えさえなければ、私はキリスト教を信じたろう とよく言われるのですが、逆に復活の真理が見えることによって、全ての扉が開かれるということが言えるでしょう。

 

エス様はペテロやパウロという、イエス様を否認したり、信者を迫害し殺害する者をあえて選ばれました。絶望や憎しみを経験した人ならば誰もが理解できると思いますが、人は一旦敵意を持った者に対して、しかも相手の命に関わる問題についてネガティブな選択をした時には、決して再び相手を信じるということはできないことだとよく知ります。人間の力ではどうにもできない憎しみを生涯負い続け、安息の時を全て台無しにして復讐を企てるのが常ではないでしょうか。または全くそれを記憶の中から排除し、何事もなかったかのように生き続けるのかもしれません。 ましてや、かつて敵意を持った相手に対して、その後命をかけて その相手の教えを広めることなどあるわけがないのです。

 

だから神様は復活の事実を後の世の人に信じられるようにするために、ありえない状況を克明に聖書に記録させたに違いありません。 復活は私にとっては信じる信じないの問題ではなく、毎日太陽が上り、沈むことのように事実なのです。

 

そうすると、次のことに向かい合います。まだ私たちが経験していない天国のことです復活が真実だとしたら、その真実を伝える働きをした人たちの語るイエス様の言葉は、そのままスポンジが水を吸い取るように染み込んでいきます。 私たちは死んだ者も、生きてる者も携という形でイエス様のところに引き上げられ、地上では大患難時代を経て、イエス様の再臨を迎え、千年王国 そして最後の審判を経て、新しき天と新しき地を迎えます。今このことを見た人は誰もいませんが、イエス様の復活を信仰するようになった今、これらのことを退ける理由が全く見当たらないのです。

 

従って残された地上の生活の中を、私たちの国籍は天であると信じて日々歩むことは、何よりも恵みへの確実な歩みであると思います。天国で実りあることとされていることを、この地上でも追い求めようとすることは、私のこれからの後半の人生の最重要課題です。

 

聖書には実りとは次のようなものがあると書かれています。(ラテヤ5-2223 )愛、び、 平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制 これらは「 今、私は手に入れた 」と思った瞬間消えゆくものでしょう。また努力をして勝ち取るものでもありません。 これらは悲しみや苦しみを通り越した者だけが身につけることのできる神様の恵です 。だからこの地上のつたない歩みでもイエス様の助けによって最後まで通り過ぎることができるならば 、イエス様によって与えられるであろう賜物を得る事ができると言えるでしょう。

 

このことを信仰しながら日々歩む時に、生活が苦しくともイエス様に繋がってるという満たしを与えられこの地上においても天国の働きを見つけることができるのではないでしょうか 。小さな自分の殻を打ち破り、新しい視点でもう一度 日常の生活を振り返ってみると、私たちの国籍は天ですと言ったのと同じ熱意を持って、 この地上の様々な愛の営みを見ることができるのではないでしょうか。そしてその期待は決して不安定な泡のようなものではなく、復活に裏付けられた確信と同じ確かさを持って、天国を信仰することができるのだと思います。