「しかし、信
ローマ人への手紙10章14~15節
この聖書箇所は、信仰の基礎となる知識や真理が伝えられなければ、人々はどうして信じることができるでしょうという、信仰の成長に必要な知らせることの重要性を説いています。私たちは知らせるものとして招かれています。聖書は私たちに与えられた使命を明確に示しています。イエスキリストの救いのメッセージを世界に伝えることが私たちの責任です。知らせるものは喜びと熱意を持ってメッセージを伝えるべきです。愛と思いやりを持って人々にアプローチし、真理を示すことが重要です。
クリスチャンであることを世の中に証するということは簡単ではありません。
大抵は多くの反発を招くし、自分自身が批判の的にさらされる機会も多くなります。 人の目を気にしている状態で神様の証をしようとしても、人の言葉に傷つき自信を失ってしまうことでしょう。
私のような者の話など誰も聞いてくれないという思いを幾度もして、自分は世の中で一番惨めな存在であると自ら認めるところまで来て、ようやく自分の握ってるものを離すのです。 世間の目、自分の理想 、ナルシズムを全て打ち壊された時、ようやく自分の周りの人間関係をリセットすることができます。そして今まで一番起きて欲しくなかった事、 つまり人との関係の一切を失った時、実は自分の身の回りに何も起きないことを知ります。もう一度言います。人間関係が全て失われていても、自分自身の悔い改めと、そこから導き出される真実に対する正しい認識が、そして神の愛への回帰が正しくなされていれば、自分の身の回り( 家族も含めて)のもので何一つ失うことはないのです。
皆さんはそんなことがあるのかと思うでしょう。しかし、世の中の評価というものほどあてにならないものはありません。神の目から正しくても、世間からつまはじきにされるようなことはいくらでもあるのです。そのような時、自分自身の心を保つために、苦しいことでありますが 一度孤独を経験する必要があります。
ここから初めて、親から、世間からの一人立ちを実感することができます。言葉と心が信仰と一致して毎日を生きる喜びに満たされることができます。このようにして私らしさを取り戻して生きる時 、世界のあらゆるものが輝いて見えます。感謝に溢れた身の回りの一つ一つを、そのように笑顔で迎え入れる時、人は何でそんなに嬉しそうにしているのですかと尋ねることでしょう 。一生懸命神様の素晴らしさを語ろうと人の後追いかけてきた時よりも、ずっと多くの神様のご栄光を人々に伝えることができます。
神様は私たちに対して神様のご栄光をお伝えするために、それぞれの置かれた道で幸せになってほしいと思っておられると思うのです。人は幸せになるために孤独を通して目を開かされ、最も大切なものを見出し、心を尽くしてそれを愛する。その時初めて人によく見られるために行っていたことを離れて、自分らしいの伝え方をできるのだと思います。