「賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。」箴言12-4
「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。」創世記2-22
神様の御用意くださることは、自分の意に反して当初は苦々しいものだが、後でとても良い効能をもたらすというメッセージを多く聞きます。
しかし良い効能が現れるまで不安になるでしょう。
信仰で乗り切れと言っても、心から喜べる体験がなければ重荷に押しつぶされてしまいます。
神様は、わたしの願う本当に良いものを、タイムリーに与えてくださったという成功体験がなければ、人は生き続けることはできません。
今身の回りにあるものはすべて苦々しいと思ったら、一旦それらの環境から離れてみることをお勧めします。
このことで、もしよい結果が与えられるのであれば、あなたの周囲の人が、意地悪い質の悪い人だったと明らかになるでしよう。もし悪い結果であれば残念ながらあなたに問題があることが明らかになったので、自分の自立のための課題を明確にして、それに取り組むことが必要です。
その時自分の実力と理想がバランスしているかチェックをする必要がありそうです。
問題がある多くの人が陥っている現象に、自分の実力を高く買いかぶり、理想が高くなりすぎているという点があります。
この考え方から抜け出さないと、無理を重ねて自分が壊れるか、現実を捻じ曲げようとして相手が壊れるかどちらかでしょう。
だから現実に合わせて理想を下げることが何よりも大切なのです。
そして理想を下げることで見えてくることがあります。今毎日生きているのは、ひょっとしたら自分の努力以上に、周囲の人に助けられているからではないか。
今まで見えていなかったものが見え始める時、人生の歯車が逆転します。
そして辛口に本当のことを伝え、地味に嫌なことを言い続けている人が、陰で多くを助けてくれていることに気が付きます。最初は意外に思うかも知れません。
しかしことの本質が見え始めたとき、体中に震えを感じることでしよう。
そして身近なこの大切な人が最も自分にふさわしい神様の備えてくださった人だと確信するのです。これを奇跡と呼びます。
そしてこのように平安と自由を与えてくださったのは、背後に神様の働きがあったと悟るに至るのです。
奇跡は何度も蘇ってきます。そして繰り返し心の中に喜びと幸せがあふれてきます。
良い循環はどんどん広がります。そして神様はいつもわたしに最も良いものを与え続けてくださると自然に思えるようになります。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。