「われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。」詩編137-1
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」Ⅰコリント10-13
今の試練を乗り越えてやがて再び立ち上がることが出来ると信じるためにはどうしたらいいでしょうか。
わたしは毎日いいことがあったことを三個づつ数えることにしました。どんなに小さいことでも良いから、良いこと探しを続けました。
それから本を読んで自分の視野を広げることを努力しました。
これらは確かに効果があり、立ち上がる力を与えてくれました。
しかし、一番効果があったのは、今の苦労がやがて実を結び、将来役に立つことにつながると信じることでした。
自分の自己実現のために、一歩づつでも前進するという実感が何よりもうれしいことでした。
神様の約束を信じるとは、自分と神様の間の対話で(祈りで)導かれるものですが、もし自分の祈りと御心が一致しているなら、心に平安が与えられることでそのことが分かります。自分のヴィジョンと教会のヴィジョン、そして神様のヴィジョンがパズルのように組み合わさり、一直線上に並びます。そしてそのために努力することに夢中になり、他人の批判が全くこころを動揺させなくなります。
詩篇の詩人は祖国を思って涙する時に、バビロンの民に「奴隷のあなたは祖国の歌を歌ってはどうか」と言われました。この時激しい怒りを覚えたことでしょう。詩篇137篇の最後はこのように歌われています。
「破壊者であるバビロンの娘よ、あなたがわれらにしたことを、あなたに仕返しする人はさいわいである。あなたのみどりごを取って岩になげうつ者はさいわいである。」詩篇137-8~9
悲しい時涙を流し、敵に向かって「死んでしまえ」と歌っていることは、何と正直なのだろうと思ってしまいます。このような言葉が詩篇の歌に残されていること自体驚きです。
しかしそれで良いのだと神様はおっしゃいます。嘆きも救いの過程の一つだと認めて下さる神様の大きさを見ることが出来ます。だから何よりも自分の心に正直に生きたいと思いました。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。