「あなたのあとについて、行かせてください。わたしたちは急いでまいりましょう。王はわたしをそのへやに連れて行かれた。わたしたちは、あなたによって喜び楽しみ、ぶどう酒にまさって、あなたの愛をほめたたえます。おとめたちは真心をもってあなたを愛します。」雅歌1-4
「それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」ルカ9-23
有名なルカ9-23の聖書個所は、イエス様が自分は長老、祭司長、律法学者たちに殺されて三日後に蘇るとおっしやった後に言われました。
また来る主の栄光を見る時にあなた方の地上での行いが問われるとおっしゃいました。
ついていく目標は将来来る神の国だとおっしゃっています。
そして「神の国を見るまでは、死を味わわない者が、 ここに立っている者の中にいる」(ルカ9-27 )とおっしゃっています。
イエスキリストの復活は過去に既に起こった事実です。
このことを信じることが出来るようになったときに、それ以降のこれから起こるであろう未来の希望が一気に心の中に押し寄せてきます。
あらゆる疑問もこの復活の理解によって、信じるに足る確かな約束として次々に確信へと変化していくのです。
それはあたかも登山の途中で、視界が急に開けて、自分の想像をはるかに超える高さまで登ってきたことを理解するのに似ています。先が見え始め、今まで重かった足取りにもう一度力がよみがえってくるような感覚です。わたしは高きを目指して確実に上っている。その先の頂上は、決して実現不可能な道のりではなく、今までの敬虔な歩みを重ねることによって一歩づつゴールに近づいているという確信が与えられます。
わたしと神様との関係は第三者が人ることのできない神聖なものです。
だから勇気をもって今日、再び歩みだすことを決意するべきなのです。
ルカ9-23の聖書個所が与えられるのは偶然ではありません。
それは今日気が付きなさいという合図です。
そして日々自分の十字架を負うてとあるように、自分らしさを失わないで、ついてきなさいということなのです。
これはとても大事なことです。
イエス様はあなたの過去を認めてくださっているだけでなく、ほめてくださっているのです。「自分を捨て」とは、自分らしくない他人の目に好印象に映る演出をもうやめなさいということです。
「日々自分の十字架を負うて」とは、他人の十字架を負うのではなく自分の課題に正面から向かって日々克服する努力をしなさいということです。
「わたしに従ってきなさい。」とはついてきたいと思う気持ちを確かめてからにしなさいとおっしゃっています。
そして神の国を見るまでは死を味わわない、永遠に生きておられるお方が、わたしたちをいつも応援しています。
「これまでのあなたも意味があり大切な存在、そしてこれからのあなたも大切な存在、山の頂まであと少し、わたしが共にいるからしっかり歩みなさい」と、もう少しの先に十字架におかかりになさろうとしているイエス様が、今もお語りになっているのです。」
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。