「わが愛する者はわたしに語って言う、「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。」」雅歌2-10
「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」ピリピ3-13~14
町内会や色々なグループでの奉仕をしようかと悩むことがあります。
何かが整ったときに、次に進むということはある意味簡単かもしれません。
しかし何も整わないうちに進むということは、大抵の場合尻込みをしてしまいます。
自分の気持ちが、あるいは周囲の気持ちがすべて整うのを待っていると、何一つ前進できないかのように感じます。
しかしちょっと待ってください。
神様の用意してくださる道は無限の可能性を示しています。
自分が想像しないこと、不可能と思っていたことが覆されるような道、自分の成功の定義が間違っていたなどに気が付くこと、視野の拡大と転換が閉塞していた人生を大きく変えることなど日常茶飯にあるのです。
まずできないと思うことを正直に告白しましよう。
その時環境がとか他人がとか外側の影響を主語にしないで、わたしという言葉を主語にしてみましょう。
わたしがそのことをやりたくない、わたしが悩むのは嫌だ、わたしはそのことに向いていないと思うなどです。
しかしその次に、逆にこの範囲だったらできるということを、考えてみましよう。人付き合いは苦手だけど、私の得意な事務の分野だったらできる、遠距離で物理的制約があるから、インターネットの交流をしたいなど具体的にイメージするのです。
仕事を担当するなど、俗人的に考えるのではなく、分野ごとに考え、担当を組織や班の領域で考えるのではなく、作業の種類で考えるのです。
そうすると自分ができる仕事が見えてきます。
そのように個々人の得意分野を生かす取り組みは、良好なコミュニケーションのあるグループでは自然に発生しますが、組織の風通しが悪く、ぎくしゃくしてくると、隣のチームの困ったことにも目をやらないで、出来ることをやらないですませようとします。
こでもうお分かりかと思いますが、やりたくないと思う一番の理由は、責任を負うということと、失敗したときに自分が負う批判を受け止めることが出来ないということが原因です。お互いが成長し、ごめんなさい、ありがとうが素直に言える風通しの良い環境を作ること、メンバーの信頼関係を構築することが一番の課題です。
これは一朝一タにできることはありません。10年がかりで作り上げるような課題です。しかし完成を待たずとも、 このビジョンを共有しみんながこの方向に歩みだしていると実感できるようになるだけで、 メンバーに勇気と希望が湧いてきます。
そうです、目指すべきゴールのイメージが出来たら、カが湧いてくるのです。
そして、先ほどまで不可能と思っていたことが、出来るようになると確信を持てるのです。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。