「わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。」詩編142-2
「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。・すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」マタイ6-6~8
現実を見てあきらめないこととはどのようなことでしようか。
状況が不利でも、主が助けてくださるという希望を捨てないようにするにはどうしたら良いでしよう。
わたしもかつて明日生きていくことが怖くなったことがありました。
一生懸命頭の中で考え、必ず解決の道があると信じましたが、来る日も来る日も状況は変わりませんでした。
ある時わたしは生涯どれくらいの収人を得ることができるかを計算する機会がありました。その時今の収人が10%多くなることよりも、長い期間働き続けることの方が遥かに大きなインパクトがあることに気が付きました。
そして今の借金も、もしわたしが生涯働き続けると決心したら、大きな問題にならないという結論に達したのです。
わたしは今までの状況を近視眼的に見ていました。
わたしは実に悲観的に考えすぎて、愛のない短絡的な目先の行動に走り、非常にもったいない高金利の借金をせざるを得なくなってしまったのです。
そして将来は大きな変化が期待できるにもかかわらず、そのことを悲観的に低く見積もっている有様でした。
わたしが生涯働き続けようと決心したとき、ころが晴れやかになったことを覚えています。
生きる勇気が再びわたしを覆いました。
こころが変わって、人生に希望を持ち続けること、つまり楽観視しすぎないが、一方で悲観もしすぎないこと、つまり平常心で客観的に自分の事態をみつめるようになってから、事態が一つ一つ好転してきました。
過去に導かれた大きな奇跡の数々を思い起こし、必ず乗り越えることができるという希望を、選択していくこと(つまり心を制御すること)は、本当にその後の将来を大きく左右してしまうと深く実感するのです。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。