「聖所にむかってあなたがたの手をあげ、主をほめよ。」詩編134-2
「主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。」ルカ10-41~42
工藤良一先生は信仰成長の5原則というのを紹介してくださいました。
1祈祷、2聖書、3礼拝、4伝道、5献金だそうです。
手をあげるというのは祈りの姿勢を示すそうです。
ある時、スポルジョンという説教者の教会がなぜこんなに祝福されるのかということを見習うために、その教会を訪問しました。
そうしたら教会の地下室で沢山の人が熱心に祈っていたそうです。
スポルジョンがいるからとか、人がたくさん集まるからとかではなく、このような祈りがあるからということが分かったそうです。
この話はありきたりですか?
わたしは驚きでした。
教会の信者を増やすためにまず伝道をしようとしませんか。
ホームページを作ったり、トラクトを配ったり、集会をすることが効果あると思ってあれこれ努力しませんか。
また信者が集まったら献金が多く集まると思いませんか。
何よりも礼拝の説教が大事である、それは聖書に基づいた講解説教でなければなあらないと考えませんか。
しかしそうではなく牧師も役員も信徒もひとつになって熱心に祈ることが大切だというのです。
ここでわたしの考え方の切り口が違っていることがわかりました。
教会が成長するために誰かが頑張ってくれることを祈るのではなく、
自分が成長する延長線上に教会の成長がある、そのために熱心に祈るということが必要なのです。
成長する主体は自分です。
他人にあれこれ期待するのではなく、自分が成長することを祈る。
決して背伸びせず、イエス様への自分らしい心からの奉仕を願い求めることが成長の近道です。
自己実現のために夢中になる、それは誰の影響もうけずに、自分対神様の約束を喜んで日々果たしていく、この連続が周囲に波及し、皆が他人と比較しないで自分らしい献身をする。
その延長線上に地域への影響力が発揮され、教会が成長していく。
今日の聖書箇所からこのような幻を見させていただきました。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。