しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

「お金がふんだんにあっても、自殺してしまう人がいる」日本ホーリネス教団工藤良一牧師”こころのごはん”から今日も力を得る

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「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」伝道の書1-2

「聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。」ローマ10-11

 

お金がふんだんにあって、日々の生活に困らず、健康も満ち足りている。

そんな人が自殺してしまうということが信じられるでしようか。

実は本当にこのようなことが多く起こっているそうです。

ここの聖書個所の作者は王であり、知恵者であり、この世の豊かな富をもっていました。

そんな王がすべては空しいと言っています。

わたしがもし豊かな経済と、地位を持っていたら、どんなにか嬉しいことでしよう。

この世は天国であると言うに違いありません。

しかしもしそこに信頼のできる人間関係がなかったとしたら、そして自分のそれまで努力していたことについて、誰とも喜びを分かち合っていなかったとしたらどうでしょうか。

 

小暮太一著の「カイジ どん底からはいあがる生き方の話」によると、人間の喜びには快と楽があるそうです。

快は一生懸命働いて会社が終わってから飲む一杯のビールのようなものです。

一方楽は晴れた日に浜辺で寝そべって一日中のんびりと過ごすというようなイメージです。

快には一生懸命乗り越える目標があり、それを乗り越えた充実感を味わうことが出来るので、一生続けることが出来ます。

しかし楽は一生続けたらまず経済が持ちませんし、実際飽きてしまいます。

 

では空しさを乗り越えるという気持ちはどういうことでしょうか。

まず楽であることは長く楽しめません。一方快であっても目標が間違っていたら(ありのままの自分らしくなければ)これも絶望に至る道だと思うのです。

毎日、神様から示された自分の十字架を負って(自分らしい目標に労して)、日を乗り越えることによって始めて喜びを生涯得続けることが出来ると言えないでしょうか。

もし神様が、自分らしい道を示してくださり、その道に心から同意して歩むときに、日々自分の心に光が差し込み続けるのではないでしょうか。

つまり旧約聖書からの最初の御言葉が人生は空しいものだと示したとしても、新約聖書でそれを覆すイエス様が来てくださったから、生ける泉を与えられながら、この地上で永遠の命を謳歌することが出来るとはいえないでしょうか。

 

この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。

*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。

工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。