「主はおのがためにヤコブを選び、イスラエルを選んで、おのれの所有とされた。」詩編135-4
「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」エレミヤ33-3
選ばれるというのはどういうことでしょうか。
管理職に選ばれる、役職に選ばれる、
結婚相手に選ばれる、
コンテストの優秀賞に選ばれるなど色々あると思います。
選ばれるとはそうなってとても光栄な、あるいはうれしい出来事であるはずです。
しかし聖書を読んでいると神様の選びはどうもそれとは違うようです。
聖書の選びとは常識外であり、驚きであり、奇跡であるようです。
普通はそうしないで、もっと別の方法を選ぶのに、わざわざ一番困難な道を選ぶように思われます。
そしてその選びは当人にとっては決してうれしいことではない場合も多いのです。
よく牧師先生が「牧師になって何十年たつのに、私は本当に召されているのだろうか」と悩むことがあるとおっしゃることがあります。
ですから神様に選ばれるとはちょっと怖いことだと言えるかもしれません。
しかし、それでもあきらめることが出来ません。
神様に救われて、何度も奇跡の内に助けられた思い出がよみがえってきます。
そしてこう言うのです。
「神様は何かをなさろうとしている。これはサプライズプレゼントである。わたしが本当にわたしらしく歩むために、ありのままの自分で喜びつつ歩む人生を手に入れるために、神様は何かをなさろうとしている。」と。
その道のプロは、自分の置かれている状況を把握し、将来を正確に予想し、先見性をもってそれらを対処し、自分の利益を確実に確保します。
しかしキリストを信じるプロは、自分の置かれている状況を把握しなくても、将来を正確に予想できなくても、先見性をもってそれらを対処することが出来なくても、神様の御心にかなった利益(つまり自分らしく神様に奉仕し喜びの毎日を送る)を確実に確保します。
わたしはキリストのプロになりたいと思います。そしてそのような選びを待ち望みます。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。