「わたしはあなたの威厳の光栄ある輝きと、あなたのくすしきみわざとを深く思います。」詩編145-5
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」Ⅱコリント4-16
工藤良一先生は高齢者は教会の宝とおっしゃいます。
ただ生きているだけでいいとおっしゃいます。
健康はどうするのだろう、経済はどうするのだろう、奉仕はどうするのだろう、と考えてしまうのが普通です。
しかし教会のすべての責任を負っていらっしゃる牧師先生がそのようにおっしゃるのです。
具体的な方策は、すべてイエス様が責任を負ってくださるということです。
僕はこのゆだねるということがどうしても出来ませんでした。
無責任ではないかと思ったりもしました。
誰かがその荷を負うことになるのだから、それは他人に責任を押し付けているのではないかと感じました。
しかし自分が何もできないことを体験すると、世の中の情景が一変します。
すべての廻りの人が自分より優れていると思います。
最初はそんな中で自分は何が出来るのだろうと失望します。
しかし意図しない継続的な導きが日々示され、一歩ずつ歩むことが出来るようになります。
確固たる遠いヴィジョンがあるのではなく、日々今日を生きるということを体験させられます。
こんなわたしが生かされているのだから、周りのすべての人だってそれぞれに生きていると感じるようになります。
そしてここからが大事なのですが、今まで優れていると感じていたものがそうでなくなり、むしろ今まで軽く見ていたものを非常に大切と感じるようになります。
そしてその大切な人のために、自分の時間を大切に使おうと思うようになるのです。
こうしたことを積み重ねて自分に生きる自信が溢れてきます。
ありのままに生きることを良しとして、またそのことを認めてくれる人々と信頼関係を結ぶようになります。
気が付いたら自分はイエス様に導かれて、本当に遠い道のりを歩んできたことに気が付かされます。
恐れは消え、愛こそがすべての富の源泉だと気が付かされるのです。
そして自信をもってすべての人はありのままに生きるだけで神様に価値あるものと認められると確信を持つようになります。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。