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「神の一方的な恵み」日本ホーリネス教団工藤良一牧師”こころのごはん”から今日も力を得る

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「ここに住む」詩編132-14

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。」ヨハネ15-16

 

工藤良一先生は「恵み」とは「ふさわしくない者に与えられる一方的な神の恩寵」と説明されました。この説明の「ふさわしくない者に」の部分に大きな感動を覚えます。

神様の一方的な恵みという言葉は数多く聞きましたが、「ふさわしくない者に」というはっきりとした明確な説明は初めてでした。

わたしが救われたのは、わたしが母の勧めに従って教会に行ったからでもなく、そこの信徒さんや牧師先生と仲良くなったからでもなく、聖書の力を理解したからでもありません。

小心者で、自分のことしか考えず、欲深で愛に乏しきものだったからこそ、神様が助けてくださろうとされたのです。罪深さを自分で理解し、悔い改めて、もう一度自分らしく、生き生きと、幸せな人生を送らせていただくためには、わたしが罪深いことである必要がありました。

わたしが善人で、誰にも評判がよく、あらゆる能力を兼ね備えている人間ではだめだったのです。

これまでの道程は自分の常識で言えば絶望的で乗り超えられたのは神様の奇跡であると確信するために、わたしは絶望的な人間である必要がありました。

神様の一方的な恵により、自分をあるがままに受け入れ、自分らしく生きて、他者の意見や考えから解放され、毎日を自己実現のために充実して過ごすことが出来るようになりましたが、

自立的に人生を生きるとともに、神様に喜んで従うことを両立できるために、わたしは一度絶望する必要があったのです。

 

神様が何でも与えて下さるとは、神様の御心を行うために必要なものが一つも欠けることなく与えられるということです。

自分の人生をすべて受け入れて、感謝に満たされる時に、それまで生きてきたときにすべて必要なものが与えられたと感じることは論理的には当たり前のことかもしれません。

わたしは感謝している→だから神様がこれまで必要なもの一切を与えて下さった→わたしはこれからも感謝し続ける→だからこれからも必要なもの一切が与えられるだろうというシナリオです。

しかしそこに論理を上回る霊の働きが生じるのです。

頭で理解するのではなく、聖霊の満たしを受けて、理解を感動に変容させ、これから残される長き将来にわたって日々その感動を持続させる力を与えられるのです。

それが主は生きておられるということです。

 

この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。

*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。

工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。