しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

「教会の交わりとは?」日本ホーリネス教団工藤良一牧師”こころのごはん”から今日も力を得る

ブログランキング・にほんブログ村へ


「見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう」詩編133-1

「子たちょ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」Ⅰヨハネ3-18

 

最近「老人は集団自決したほうが良い」という論調の発言を耳にしました。

この発言はある特定の人に面と向かって言うことは決して許されません。

しかし正直に告白すると、自分の親に苦しめられた立場として、不特定多数のしかもマジョリティに向けた言葉としては、半分心動かされる部分もありました。

経済的にしわ寄せを食い、政治的にもほぼ絶望的な立場の若い世代としては、本音の一言も言いたくなるという所でしよう。

もちろん優性思想は危険だとこの発言を批判する意見に聞く耳は持っていますが、 どうしようもない閉塞感の中に、長い間閉じ込められた恨みに一矢報いる流れを作るには、これくらいのことを言わないとバランスが取れないと思う部分もあります。

 

こんな中で現実に親子が向き合った時に何ができるでしようか。

親:「おまえなんか出ていけ!」

子:「くそじじい、死んでしまえ!」

と心の中で思う人間関係の中で、いかに毎日の時間を乗り越えたらいいでしようか。

 

工藤良一先生は次の3つを示されました。

  •  人を見ないで、神様をみること
  •  霊的な恵みを分かち合う
  •  天国の希望を持つ

不思議なことですが、苦しいことを苦しいと、憎いことを憎いとはっきり認めると、自分のありのままの姿を認めることができて、自由へと一歩前進できます。

自分が何が好きなのか、何を喜びとしていきたいのか、そのために自立する一歩を歩みだすことに専念する時、自分は他人の中傷に心動かされなくなります。

そして神様に向けて充実したその心の内を正直に分かち合うことができます。

無理して背伸びしてかっこいいことを言うのではなく、自分らしい信仰を生き生きと告白できるのです。

 

そして究極的な幸せである天国の希望を確信することができます。

何故なら、かつてペテロやパウロが絶望の中から回復した事実を見る時、それは復活したイエス様に出合ったとしか言いようがなく、

エス様の復活があるなら、そしてわたしの身の回りの奇跡を目の当たりにしてイエス様が生きていることを体験したなら、再臨も天国も必ずあると確信できるからです。

幸せはわたしの感情とは別の所で確実にもたらされるという自信が与えられるのです。

そうすると人に対して神様にゆだねつつ平和に接しようという余裕が生まれます。

良い言葉、良い思いを選択し続けると、思いが強化されてポジティヴにより自信が与えられ余裕が出てくるという好循環が生まれます。

 

一日1%このような思いを持ったとしましょう。一ヶ月(1.01の30乗)では1.35倍、一年(1.01の365乗)では38倍の幸せが手に入ります。

気を付けなければいけないのは不幸も同じだということです。

幸せも不幸も複利で増えるといいます。

 

この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。

*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。

工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。