老人が街にあふれかえる。
最初の段階は若者が減り老人が増えるのだが、2050年頃には若者も老人も減る。
そして2100年頃には日本の人口は5000万人台になると。
わたしが小学校の頃( 1970年頃)世間では人口爆発というのが問題になっていて、テレビで盛んに特集が放送されていた。その時は土地・住宅や食料の問題が盛んに議論されていた。人口が増えすぎて日本の島から人間があふれ出るアニーメーションが映し出されていたのをはっきり覚えている
それから10年後もこんな話を聞いた。
日本の江戸時代は鎖国をしていて自給自足だった。その頃の人口は5000万人くらいだった
だからきっとこの頃の人に今の予想を聞かせたら、羨ましがるのではないか。
でもまあ、その頃年金が問題になるなんてちっとも考えていなかった。
その時その時の苦労はあるもので、戦中戦後の時代を生き抜いてきた人たちは、老人になって核家族化の進む中猛烈なインフレの中を通ってきて、それはそれで大変苦労をなさったのではないだろうか。
結局それぞれの世代が背負う運命の中で、その場その場でみんなが知恵と労力を出し合って生き抜いていくしかないのですよね。
改めて思うこと。
やっばり老人=隠居という意識は捨てなければならない。
一生働くということが必要になることは間違いない。
それとなるべく与えられたものの中で質素に生きるということも受け人れなくてはならない。
この本の中で住宅が余る、独居老人が増えるとあるが、今の考え方を変えて、共同で生きるという事を積極的に取り人れたほうがいい。
老朽化した家を手放し、複数の気の合う仲間同士で程度の良い家に住むというのも選択肢かも知れない。
若い人の経済を立て直すことは大前提だが、若い人は若い人で自立してもらい、年寄りは年寄り同士助け合って生きるという経済の仕組みも出来たらいいと思う。
親の財産をあてに老後の面倒を見てもらおうとする、その考えが土台無理なのである。
介護は信頼関係が何よりも大きなウェイトを占める。
仮に無一文の親だって信頼関係があれば子供と協力して乗り切れる。
しかし信頼関係の構築できない毒親は一億円もらったって面倒を見るのは御免だ。
その為なら多少お金に不自由したってかまわない。
若い人たちはそのような意志表示をし始めているのではないか。
町内会で75歳以上は後期高齢者だから役は出来ないという人が沢山いらっしゃる。
しかし自治会への多くの要望を寄せるのも高齢者の方々だ。
一方私たち以降の世代は70歳まで年金をあてにせず収人を得なければならないことはほぼ確実である。。
こんな意識のギャップが自治会の中にあり亀裂を生じさせている。
正直な話、信頼関係のある人同士は、災害等万一の時は助け合う気持ちがある。
しかしそうでない人は置いてきぼりになるだろう。
自治会という組織で何とか歯止めをかけようとするが、若い人は嫌なものはやらない。
最後は個々人のコミュニケーション能力、つながる力がものを言うと思う。
お金を持っているから助かるのが当然だと思っているご老人は、世の中がこれから江戸時代の姥捨て山のようなものを強制する時代になっていることを心に留めなくてはならない。お金があるうちはサービスを受けられるだろうが、そうでなくなれば誰も相手にしてくれない。そのそもお金があっても人がいないのだからサービスは受けられないという事を肝に銘じなければならない。
ガンになって輸血不足や看護師・医師不足で治療を受けられなくなった時、何が大切になるかを今から考えたほうがいいと自戒するのである。