心をつくして主に信頼せよ、
自分の 知識にたよってはならない。
箴言3章5節
教会の役員の荷を負って下さる人はあまりいないでしょう。
今の現役世代の人たちは、子育て、介護などで今生きていくのに精一杯だと思います。昔も大変な中でみんな頑張ってきたとおっしゃる方も多いのですが、私は反論することが多いです。給与も長い間伸びない中で、昔の税率は35%位だったものが、今45%から50%になっている。これは戦時中と同じ水準で、今戦争してるのと同じ経済状態であると言うことらしいです。今働く世代の人々が少なくなる 中で、いかに戦略的に小さくなっていくか ということが目指すべき課題だと思います 。
この世の知識ではなく、神の言葉に頼れとおっしゃる方もおられます。最近この言葉を再び深く考えるようになりました。 確かに神様の御心を行う働きは、聖霊様が豊かに臨まれているところで豊かにされることでしょう 。ですから私は、神様の祝福により、益々増え広がるということを待ち臨んでることは間違いありません。
しかし 同時に、神様の知恵をいただきたいと思っているのです 。例えば、教室の黒板の方向に歩いてきなさいという命令があったとします 。その時、立ち上ってまっすぐ黒板に向かうなら机にぶつかって前に進めなくなることでしょう。しかし一旦横に迂回して、通路の側に出てから前に進めば、スムーズに黒板の側に向かうことができるのです。これが神様の知恵だと思うのです。
今、古い考え方のもとで拡大路線を歩んでも実を結ばない、働き人が少ない中で従来通りの重厚長大なことを考えてもダメだと言いたいのです。今まだ教会でパソコンを自由に使える人は少ないですが 、あと20年もすれば全世代がパソコンネイティブになるでしょう。実際に顔と顔付き合わせるコミュニケーションでなければだめだという方も多いのですが、果たして100% そのような face to face のこだわりが必要でしょうか 。そして教会の全員が、50%リアルなコミュニケーションと50%のパソコンのコミュニケーションで過ごせるとしたら、情報の速度と量が格段に上がります。また zoomや teams での対話は遠隔地での教会員の力強い味方となるはずです 。教会の大きなコストである教会堂の考え方も大きく変わるかもしれません。
もう一つは牧師の役割が変わってくると思います。聖書の学びはインターネットを通じて非常に豊富な知識を享受できます。しかしその知識をどのように解釈するか、実生活にどのように適用するかという実体験に証する話に興味が尽きないことでしょう 。つまり、聖書を知って私はどのように幸せになったかということについての、共感と納得できるような話を人々は必要としています 。
説教者を養成する信徒訓練に100日以上を要するという話を聞きましたが、今の世の中で、普通の人はそんなに時間を捧げることはできません。老後も含めて、一生働く世代として生きるのが精一杯の中で、説教者を目指すということは、霞を食べて生きて仙人になれてと言ってるのと同じだと思います 。
コミュニティとしての教会の運営能力も大切だと思いますが、これは信徒訓練というより、実社会生活で学ぶべき課題でしょう。 知識はインターネットに任せ、霊的な成長と実りを与えるための指導者のための能力開発ツール( それも1週間程度の訓練コース )と選別 テストの組み合わせが現実的ではないでしょうか 。
説教者の育成ができなければ、牧師の数に合わせて教会は統合縮小するという道を辿るでしょう。その時遠隔地の運営にインターネット技術は大いに必要となることと思います。