しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

視点が狭いということは無駄な努力をしているということ

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話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。ルカ5-4~5

 

信仰は私たちの生活において重要な役割を果たします。しかし 信仰が実を結ぶにはイエス様の言葉に従って行動する従順が不可欠です。エス様の言葉は私たちに方向を与え奇跡を起こします。

 

今から28年前 私はイスラエルガリラヤ湖畔を訪ねたことがありました。山上の垂訓 教会というところからほど近いところに、走り寄ってイエス様を見上げるペテロの像が建てられています。ガイドの方はここでこのような話をしました。夜通し網を張ってもちっとも魚が取れなかった漁師たちからは魚が見えなかったが、イエス様は沖の方に魚がいることを知っていた。この岸辺では光の加減で、船の半分には魚が見えなくて、もう反対側に魚が見えるということが本当にあるそうですと。

 

視点の狭いことが命取りになるということは本当によくあります 。私も会社で大変な失敗をしたことがありました 。その職場はどちらかといえば、地味な製造現場で技術的な知識が不足しているような状態でした 。私は一生懸命に働き、次第に成果を上げるようになりました。そしてそのうちにこのように 技術レベルを上げることが大切なことと思い、自分の後輩たちにもそのようなことを要求するようになりました。しかし当時の上司は、メンバー間の信頼関係 こそ優先すべきと考えており、上司にも部下にも好き勝手振る舞う私のことを快く思っていなかったのです。私は技術こそ最重要課題であると盲信していましたから、周囲と対立することになって孤立してしまったのです。私は、法定検査のための指示も部下に守ってもらえない事態を重く受け止めて、他の職場への配置転換を申し出てました。その結果、私は他の職場に移ることになりましたが、最後の1日まで対立のムードは消えませんでした。

 

私はこの時仲間と協調するという大切な側面、つまり仕事のクオリティを落としてでも、人間関係を持続可能なものとして良好に維持することが大事だということを理解できていませんでした。

同時に、周囲にどう評価されるかではなく 、自分らしく生きるためにどのように自分の課題と向き合うかを理解できていませんでした。

 

 時は移り私が上司になった時、これと全く逆の体験をしました。この時は先の職場と異なり、どちらかといえば 他職場からの転入者が多い、多種多様な人々が集まっている職場でした。私はこの職場の人々に、いかに良好なパフォーマンスを発揮してもらうかを優先して考え、仕事のクオリティよりも、人手不足の中、外からの人材を頼らない方針を貫いていました。

ところが若い部下が技術のレベルアップこそ最優先すべきだと意見を譲らず( つまり人を入れ替えるべきという意見と)対立関係になってしまいました。職場の組織運営で人事ほど頭を悩ませることはありません。メンバーのパーソナリティを考えつつ、最適な配置を考えている私の人事を若い部下は批判しました。いや 実は多くの人々が私の人事を批判しました。しかし私は キーパーソンとなる人の選任を断固として譲らず、結果として、この若い人を 転出させることを選びました 。眠れない夜をいくつも過ごし、妻や娘を不安にさせ続けた私が、今日まで乗り越えられたのは、自分の課題に対して多くの読書を通じて視点を広げたことが大きな助けとなりました。 特に心理学の本を学び、問題となる相手への理解が核心に触れた時、相手に直接伝えずとも、私の心の恐怖と憎しみが消えることで相手の反発が劇的に少なくなりました。

 

この時、私は若い時に人事の大切さということを全然気使っていなかったことを思い 、この若い人も昔の私と同じであると感じました。

こんな人への配慮の欠けた私が、この難しい職場で9年も所属長を務めることができたのは大きな奇跡だと思っています。

 

視点を広く持つことは自分の努力が報われるための大切な条件です。そしてその目的とするところが間違った指標であるならば、 自分の命を失うことにもつながると身にしみて感じています。イエス様がおっしゃる何よりも大切なものは愛であるという基本方針に従うことが豊かな実を結ぶ大切な条件です。