しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

「なくてはならぬもの」日本ホーリネス教団工藤良一牧師”こころのごはん”から今日も力を得る

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「なくてはならぬものを与えられる」詩編127-2

「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」ビリピ4-19

 

この中で工藤良一先生がおっしゃっていることに「ほしいもの」と「必要なもの」は異なるというのがあり、はっとさせられました。

またわたしの人生の総監督はイエス・キリストだということもおっしゃっていました。

 

わたしはこんなことを欲しいと思っています。

豊かな日差しの差す静かな海のそばで、べッドに寝そべりながら本を読む。

そしてサイドテープルにはおいしそうなレモンスカッシュがある。

こんな生活を永遠に楽しむ。

「神様、このような生活を与えてください」と本気で祈ったりします。

 

今日の最初の聖書個所である詩編の作者ソロモンはどんなに最高の技術と甚大な労力を尽くしても、神様が共にいなければその労は無駄だと言っています。

二番目の聖書個所であるビリビ人への手紙はパウロは明日死ぬかも知れない囚われの中で、書かれたものでした。そのような中でわたしは満たされると言っています。

 

どうも、わたしの願いは絵にかいた餅の様に思えてきます。

何もすることがない生活を手に人れるためには、大きな代償が必要です。

沢山のお金を手にするか、又は大変少ないお金で暮らすことを考えなければなりません。

でもそのような努力はむなしいと、この聖書個所は言っています。

全ての努力を尽くして神殿を建てたソロモンが、神様抜きの努力はむなしいと言っているのです。

よく言われることに、神様の平安は穏やかな緑の草原のようではなく、滝の前にある小鳥の止まる小枝のようであると言います。

小鳥が休息するのに必要な小枝が必要なものということでしよう。

 

わたしは問題のない生活を望むがあまり、小さな問題に一喜一憂して、苦労を自ら拾い集めるようなことをしがちです。

しかし一度は頭を整理して身の回りを見渡したほうがいいでしよう。

問題のない家庭などどこにもないのです。

毎日、問題が起きる。そのことを大きくとらえてしまうか、乗り越えられる自信がもたらされるかは、神様が共にいらっしやるかどうかです。

そして、今日もわたしはこう言います。

わたしは力がありません、信仰もありません、でも何とか神様わたしを憐れんでください。

そして小さな一歩ですが今日わたしはこのような環境でも主を選び取りますと告白します。

牢獄で満たされているパウロだって、最初は目が見えなくなった時の小さな一歩が神様への応答だったかもしれません。

だからわたしも今日小さな一歩を主に願い歩み出したいと思います。

 

この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。

*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。

工藤良一師のプロフィールとともにこころのごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。