「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」詩編126-5
この歌は外国に連行された人々がやがて帰還することを夢見て歌われたそうです。
病気や災難、人間関係の絶望、経済の苦悩など絶望の時に、
そのことが乗り越えられて回復できるとは信じられません。
絶望の時に今の困難がすべて解決されることを信じることは、
とてもできることではありません。
しかしこの詩人は涙の時に種をまくことを選び取ろうとしています。
正直に告白します。
わたしは信仰をもって進んだときに、それが直ちに実を結んだことを経験したことはありません。
しかし数日、数週間、あるいは数年後に数多くの奇跡を体験しました。
もし神様に「わたしはあなたを信じます。だから今助けてください。」と祈って、
直ちに答えられたなら、わたしは喜んで大声で教会で証しすることでしょう。
でも神様はそのようにはなさいませんでした。
ただ今日の乗り越えるべき課題に集中し、
そのことに専念して取り組みました。
しかし来る日も来る日も困難は取り去られません。
現実と将来の予想を徹底的に解析し、もっともよい方法を選び取ろうとして行動したとき、自分の期待は裏切られました。
やがて自分の身の回りからすべての困難が取り去られるというのは幻想であると悟るようになりました。
ある時いよいよどうしようもない困難が押し寄せ、
自分の一切のプライドを捨てて主に助けを求めました。
そして自分の予想を外れれば外れるほど実は解決の道に近づいており、
自分の考えもしなかったことが起こるのを体験するのです。
本当に神様は真実を隠される方で、もし本当のことを事前に知っていたらわたしは卒倒してしまうので、わざと隠されていました。
そしてその場に倒れても、座り込んでもいい、あるがままで居続ける時に神様の奇跡が起こるのです。
何もしない私は、四六時中あくせく働いていた時より、神様にとってふさわしいものとされたのかもしれません。
神様は、怖いものが何もなく、大胆に神様の道を力強く叫ぶものより、
ただ自分の無力を悟りながらもひとつづつ小さな種をまく人を好むのだと、
心の底から納得させるようにするため試練をお与えになりました。
自分の重荷(十字架)を負い続けることを決意したときに、
すべての歯車が正しく回りだし、大きな成果をえることができるのだと、
困難を乗り越えた後に納得させられるのです。
そのとき涙をもって種をまいたものが、大きく収穫の時を迎えているのを心から深く感謝しました。
この日記は日本ホーリネス教団大島キリスト教会工藤良一師のデボーションテキスト「こころのごはん」を読んだ感想を書いています。
*残念ながら現在心のごはんをインターネットで見ることはできません。
工藤良一師のプロフィールとともに心のごはんをインターネットで見ることが出来るようにとお祈りしています。