しあわせうさぎさんの決意

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棄てられた子供がイエスを知る時、親を超える存在を、核となる母なるものを手に入れる

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ありのままに生きるために核になる母なる思想に触れる


自分らしくあるがままに生きるとは、過去も、現在も、これからの未来も自分が神様に愛されていることを信じ、これからもその信頼関係の中に歩み続けようとすることです。

いきなりキリズト教の話になりすいません。

不幸な親子関係に過ごした人が、もう一度心に優しさと自信を取り戻せるとしたら、これまでの人生を受け取ってくれて、かつ母の様に慰めてくれる真実な存在が必要です。

まったくぶれることのない、そしてこれからやり直そうとする自分の生涯をゆだねるのに恥ずかしくない、核となる考え方との出会いは人それぞれです。

わたしの場合はイエス・キリストとの出会いでした。

まずご自身で聖書を手に取って読んでいただけたらと思います。

誰にも邪魔されない自由な心で、読んでみてください。

最初は新約聖書が読みやすいでしよう。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書のどれかーつでもいいですし、~の手紙という聖書個所も面白いです。

驚くべき記述が随所に出てきます。

 

例えば工ペソ人への手紙6章1―4節にはこんなことが書いてあります。

6 : 1子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。

6 : 2「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、

6 : 3「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

6 : 4父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

両親に従いなさいというのは一般的な教えでしよう。

そしてそうしないなら長生きできないというのです。

しかしその下に父親は子供を怒らせてはいけないとあります。

ですから聖書は親孝行と同じくらいの重みで父親が尊敬される存在となり子供を怒らせてはいけないとあるのです。

 

もうーつマタイによる福音書1 2章4 6ー5 0節にはこうあります。

12:46イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた

12:47そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。

12:48しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」

12:49そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる

12:50だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

これはキリスト教を信じる者だけが大切で、そうでない人は両親でもすててかまわないという排他的な考えではないですよね。

もっと広くとらえて、自分の血のつながりだけに重きを置くのではなく、もっとも大切だと確信することを共有する人々と積極的に信頼関係を結びなさいという意味だと思います。

こんなことを説教する牧師先生に出会ったことはありませんが、わたしは自分の信仰心と頭を使ってこの聖句をこのように捉えました。

 

もし新しい人生を歩みたいと思って、ありのままの自分を探したいと思うなら、まず今の自分を受け取ってくれる母なる存在を見つけることです。

世間からも自立した、しつかりとした土台をみつけるのが良いでしよう。

本心から愛情を注ぐことのできる対象を見つけて、地道に取り組んでいくことを続ける。

そうすると自分の大切なものがはっきりと見え始め、本音で生き生きと語れるようになり毎日の生活の積み重ねの中で着実に自信を持っことができるのです。

もうあなたは自由です。

次回は親子関係の再構築(第三者としての両親の認識)を考えてみましよう。

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各ステッブの記事とまとめの記事をリンクさせますので振り返ってご覧ください。