もし自分より下だと思っていた人間が、自分より高い評価を受けていたとしたら嫉妬しませんか。
そしてその相手のあらを探して、批判する。
これがマウントを取るということです。
最初はマウントを取られる側はマウントを取る側の人に大きな脅威を感じていません。
しかし非常に長い期間この状態に陥ると、つまらないことでも気が取られいらいらしてきます。
それがマウントを取る側の心理的満足を助長して、更に攻撃がひどくなるという悪循環を引き起こします。
事実としてマウントを取られる側は、マウントを取る側に何か気に障ることを行った可能性が大きいです。そしてそのことを行った側は些細なこととして受け取っています。
一方マウントを取る側は絶対に許せないという気持ちでいます。
しかもマウントを取る側は年上であったり、地位が上であったりして、絶対に譲る気はありません。
このような状況で世間一般常識の範囲でマウントを取る側を持ち上げるとか、ご機嫌をとるなどは、降りかかる火の粉を払うくらいの効果があるでしよう。
しかしもっと効果がある方法があります。
自分が本当にマウントを取る人を憎まなくなることです。
ちょっと極端かも知れませんが、キリスト教では相手から批判されて、自分の心が乱されるのは、自分の心に罪があるからですと教えます。
自分がイエス・キリストの恵みの内に喜んでいれば、相手の的を得ない批判は何の影響も及ぼさないという考えです。
逆の言い方を言えば、相手の的を得ない批判に心が惑わされるのは、信仰が低いということです。
わたしもここまでの境地になるのはちょっと無理ですが、マウントを取る人に会ったら、こんな風に考えるようにしています。
「わたしも人に羨ましがられるようになった、これは嬉しいことだ。」
過去を振り返ると、人から意地悪されたり、批判を浴びたのは、自分の調子が上向きの時でした。しかし若かったわたしは、それらの批判を真に受けて悩み抜き、とうとううつになってしまったのです。
今思うと、何ともったいないことでしようか
人に意地悪されるのは、自分が豊かになっている証拠です。
だから悲しく思うどころか、嬉しく思っていいのです。
良く相手を観察してください。
あなたは人生の多くの困難に耐えながら、今まで立派に行き抜き、今の地位を保っているのです。それらの苦労をマウントを取っている相手が負えると思いますか。
良く相手を観察してください。
あなたにはこの世に本当に信頼のできる家族が又は友人が、一人あるいは数人以上います。
これから十年後、二十年後あなたはもっと幸せになるのです。
それらの幸せをマウントを取っている相手が手に人れると思いますか。
マウントを取られているあなたは今幸せになろうとしています。
そのことをつまらないことで失わないでください。
次はパーソナリティー障告、発達障害について考えてみましよう。
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