しあわせうさぎさんの決意

教会、職場の不安、困難の乗り越え方とは?

たゆまず善を行うとは、相手の傷ついた心の奥の憎しみや怒り、恐れや不安から出る一切の言葉を受け止めるということ

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。 

ガラテヤ6-9

 

ユダヤ主義者は行動や実践を重視し、信仰を育むために学問と行為を結びつける傾向がありますこの手紙はユダヤ主義者に反論するために書かれたものであり、特に6章はクリスチャンの生き様として兄弟たちが互いに重荷を負い、キリストの律法を成就することを目指しています。

 

ここで書かれていることが自分が率先垂範して正しいことを行い、それを皆が真似るように指導することを言ってるのではないことに気がつかされます。行動から目的となるものを得るのではなく、信仰から目的となるものを得るとはどのようなことなのでしょうか。目的とはガラテヤ5-22節に書いてある御霊の実のことです。( 愛、喜び、 平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制)これらを私は持っているだから、皆も私に見習って行動してほしいと言ってる人のことを想像してください。おかしくて吹き出してしまいそうになるでしょう。

 

これらを得るために、私も含めて互いに支え合い、絶えず自分自身を悔い改めて、新たに生まれなければなりません。 傷ついた者は再び立ち直る時に、まず自分の本当の気持ちを吐き出さなくてはなりません。たゆまず善を行うとは、つまり兄弟姉妹の傷ついた心の奥の憎しみや怒り、恐れや不安から出る一切の言葉を受け止めるということです。そしてその本音の中に隠された兄弟姉妹の重荷を本質的に癒してくださるように、明確に問題点を見据えた上で祈り求めていくことです。

 

さらに相手の怒りの言葉が、自分の不注意や至らなさから生じたと思われる時、しっかりと自分の課題を見定めた上で悔い改めることです。 そして改めて自分の課題と向き合うことを決意します。さらに時を経て、その相手と継続的に対話を続け、やがて信頼関係を回復することができて、その上で相手の問題点を愛ある言葉でネガティブフィードバックすることこそきずに励むということなのでしょう。

 

これを行う際に自分の自己アイデンティティが確立されていなければ 、つまり他人の目を気にして行動している限りは、決して実を結ぶことはないでしょう。まず自分の心が満たされて自分らしさを取り戻し、人生の正しい目標を見定めた上で、柱となる自分の課題を修正しつつ、相手が求めているところの要所を抑えた応答していくとき( にある交わり )こそ絶えず善を行うということの意味なのでしょう。このような行いの時は、他人の目を気にすることや、忖度するとかの気持ちは消え去っていくことでしょう。

 

時が来るとはいつでしょうか。相手が変わった時が来たということでしょうか。あるいはやがてくる天国の時がその時なのでしょうか。を刈り取る時、つまり相手がクリスチャンになる時という意味に理解することができそうですが、私はこれは自分自身が自分らしく精一杯人生お捧げした時に、これから先は神様の分野であると委ねきった段階が自分にとってのその時なのだと思います。そしてそのような毎日を喜びつつ歩んでいく先に、ある日気がついたら相手が信仰を持っていたとなる時、それが 客観的な神様の時だと思います。神様の時は誰も知りません。だから毎日熱心に絶えず善を行うこと、飽きずに励んでいくことを自分の課題として行う( 自分の傷を解決した上で他人の傷の重荷を負う、そのことで自分はもはや傷つかない)その時に私たちは御霊の実を分け与えていただいていると言えると思います。