偽善者よ、まず 自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
マタイ7章5節
私が日頃愛読している加藤諦三さんの本の中で一番思い出に残っている言葉があります。「 駆け落ちは親からの乳ばなれ、離婚は世間からの乳離れ」というものです。数多くの著書の中での名言で、この言葉が一番印象に残りました。夫婦の問題を、外のことの問題にすり替えているうちは、家庭に平和は訪れません。よく行われることとして、子供にその責任を負わせるというものがあります。子供に問題があるから私は幸せになれないと言いながら、その一方で子供を不幸の立場に追い込んで夫婦の安定を保とうとするのです。 冗談ではなく、このような環境で育った子供は他人の言うことを何でもよく聞き、自分に自信を失い、他人の悪巧みを見抜くことのできない、生きた屍になるのです。
ですから子供を育てるのに一番大切なことは、親自身の心の不安、恐れ、怒りなどの問題を引き起こす自分の奥底にある本当の動機に気がつくことが大切だと思うのです 。自分の問題を正面から見据えて、本質的な改善を図ることを聖書では悔い改めと言い、奇跡と呼んでいます。
同じように夫婦で教会のことが問題となり 、それが喧嘩の種になったりします。 妻は自分勝手な夫に愛想をつかし、夫は教会と妻の間に挟まれて苦悩するという構図です 。先にも言いました通り、これは本質的には夫婦の問題こそが中心的課題です。極端に言いますが、夫は教会を取るか、妻を取るかのどちらの覚悟もないのでしょう。もし不倫や浪費をせず真面目に暮らしている妻が悲しんでいるのに、それを慰めることができず、 かえって逆切れしてしまうようであれば、それは自分自身が未熟で、世界観が狭く、周囲の人の重荷を受け取ることができない器ということに気がつくべきでしょう。
しかしそこからが劇的な回復のスタートなのです。そしてそれは自分が弱いという捉え方をするのではなく、自分が人を見る目がなかったこと、そして周囲にはろくな人がおらず、騙され続けてきたということに気がつくべきです。しっかり 両面を開け、教会の中にも潜んでいるずる賢い人々を撃退しなければいけません。
まず教会はあなた方夫婦の幸せを保証することはできません。
いつでも自由に離れることができる自立した精神を持って教会に関わることから始めましょう。実は自分では教会を支えてるつもりが、本当はお荷物になってるということが多くあるのです。
だから家庭を治められない状態をまず理解し、そのことが 神様から与えられた第一の課題であると心することが必要です。
夫婦がお互い信頼関係を持って話すことができることほど、当事者だけでなく、子供にとっては何よりも嬉しいことはありません。夫婦が本当に信頼し合っている家庭の子供は、幸せな子供時代を過ごすとともに順調に自立できると思います。このように幸せの歯車が正常に回り始め、生きてることが嬉しくなる時、教会の見え方が変わってきます。
自分らしくイエス様を伝道することを熱心に考え、自分の理想と能力、そして神様 の 御心が一致した形での自己実現と自己アイデンティティを確立を果たしつつ、最も御心にかなった働きをすることができます。もはや人の目も、自分の賜物や能力の高い低いも気にならなくなり、完全に自由にされた自分を見つけることができるでしょう。妻と教会に挟まれた夫の皆さん、少し回り道をして自分の視点を変えることを祈ってみてはいかがでしょう。