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黙55「黙示録21-2~11」スティーヴンス栄子オメガバイブルスタディー受講メモ

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今回のオメガバイブルスタディーは、黙示録21章2節からの新天新地の学び。


黙示録21章2節から4節、私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のもとを出て天から下って来るのを見た。その時、わたくしは御座から出る。大きな声がこういうのを聞いた。見よ、神の幕屋が人と共にある。神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである。
2節で新しいエルサレムが夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のもとを出てから下ってくるのを見た。花嫁のようにと語られているのは、花嫁は新しく生まれたばかりの女性ではなく、嫁ぐ先の夫のために整えられた一人の女性である。元々生活していた人。同じように、新しいエルサレムは前のエルサレムがなくなったのではなく、結婚式のために花嫁のように美しく飾られている。花嫁が花婿のところに引っ越すように、天のエルサレムが天国から地球に引っ越してくる。3節で見よ、神の幕屋が人と共にある。神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。モーセの幕屋にシャカイナグローリーが降りてこられた。モーセの幕屋は天の幕屋の模型であったが、実物が天から降りてきて、地球に永遠の神の都が存在するようになる。神様の創造の目的は、罪のない人と、神様が共に住まわれる神様の御臨在、シャカイナグローリーがいつも民と共にある目的であった。


エペソ5章31節と32節に、人が父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となる。この奥義は偉大です。わたくしはキリストと教会とを指して言っているのです。
イスラエルと父なる神様が、そしてキリストと教会が一つになっている時である。サタンが罪を犯し、サタンが人間をそそのかして罪を犯させた故に、神様の目的は達成されなかった年月が長く立った。しかし、この日のためにイエス様が来られ、十字架にかかって罪を取り除いてくださった。なぜ、全治全能の神様が、これがだけの年月を忍耐をもって待っていらっしゃったのであろう。それは、神様が私たちをロボットのように機械的に従順に従うものとはお作りにならないで、1人1人に自由意思をお与えになったからである。神様に従うものがロボットのようではなく、愛によるものであるようにと忍耐をもって待っていらっしゃったのは、1人1人が神様を愛するが故に従うためである。神様を心から愛し、愛の故に神様の御心を痛める罪を犯すものは誰もいなくなる。この愛は自由意思によるもので、永遠に変わることのない愛である。神様の最初からの目的は、愛ゆえに続く永遠の世界である。

 

第1コリント13章13節でいつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で1番優れているのは愛です。

神様が私たちとともにいらっしゃるので、もう信仰も希望も不必要である。永遠に変わらない愛だけが残る。4節で彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。死、悲しみ、叫び、苦しみは罪によってくるものである。もはや海はない。もう罪はない。もはや呪いはない。同じく4節で、なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである。以前の罪の世界は再び戻ることはない。

 

黙示録21章5節から8節、すると、御座に付いておられる方が言われた。見よ、私は全てを新しくする。また言われた、書き記せ。これらの言葉は信ずべきものであり、真実である。また、言われた事は成就した。私はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。私は乾くものには命の水の泉から値無しに飲ませる。勝利を得るものはこれらのものを相続する。私は彼の神となり、彼は私の子となる。しかし、臆病者の不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、全て偽りを言う者どもの受ける者の分は、火と硫黄との燃える池の中にある。
これが第二の死である。5節で御座についておられる方が言われた。見よ、私は全てを新しくする。御座から出ている1つ目の御言葉は、全てが新しくなる永遠の世界の到来を約束している。同じく5節で書き記せ。これらの言葉は信ずべきものであり、真実である。苦しみも涙も罪も全くなく、愛だけが残っている世界の到来は、疑う余地のない真実なのである。6節で事は成就した。私はアルファであり、オメガである。最初であり最後である。黙示録の始まりで、事が成就していない時に同じ言葉が語られた。黙示録1章8節で、神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方。万物の支配者がこう言われる。私はアルファであり、オメガである。永遠に存在なさる神様が到来なさり、メシア王国が実現して、そして終わった。ギリシャ語のアルファベット、最初の字と最後の字、そしてその中間の全ての字が含まれている全てであられるお方である。私は乾くものには命の水の湖から値無しに飲ませる。御座から出ている二つ目の御言葉は、永遠の神の都には命の水の泉があり、値なしに存分に飲むことができる約束である。7節で勝利を得るものは、これらのものを相続する。私は彼の神となり、彼は私の子となる。御座から出ている三つ目の御言葉は、黙示録の始め2章と3章で各教会に語られた同じ御言葉である。信じて勝利を得る者のみ、相続することができる約束である。命の水はイエスキリストである。これは、神様と人間が個人的交流になる重要な御言葉である。8節でしかし、臆病者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、全て偽りを言う者どもの受ける分は火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。御座から出ている四つ目の御言葉は、対照的に不信仰な者たちが復活して白い御座の審判を受けた者たちで、第二の死によって永遠に神様から離れてしまうことを語っている。


黙示録21章9節から11節、また、最後の7つの災害の満ちている、あの7つの鉢を持っていた7人の御使いの1人が来た。彼はわたくしに話してこう言った。ここに来なさい。わたくしはあなたに子羊の妻である花嫁を見せましょう。そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神の御許を出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
9節で御使いの一人が来た。彼はわたくしに話してこう言った。ここに来なさい。わたくしはあなたに子羊の妻である花嫁を見せましょう。
御使いがヨハネに子羊イエス様の花嫁を見せています。10節で、御使は御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神の御許を出て天から下ってくるのを見せた。天のエルサレムが地上に降りてくる幻を見ている。天のエルサレムの建物がイエスキリストの花嫁ではなく、その中にいるものたちが花嫁である。ウェディングドレスに包まれた花嫁を見ているのと同じである。


ヘブル書12章22節で、あなた方はシオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大宴会に近づいているのです。いよいよ天のエルサレムと地のエルサレムが1つになる時である。新しいエルサレムには、三位一体の神様と無数の天の生き物たち、そして神様を愛する人間たちがともに過ごしている。11節で都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。天から降りてくるエルサレムはシャカイナグローリーで満ちている。碧玉のようであるとはどのような見かけなのであろう。英語でジャスパーと呼ばれる碧玉は透き通っていませんが、赤、緑、そして黄色などがある。シャカイナグローリーは透き通った碧玉のようだから、これら全部の色が動いてるような感じかもしれない。

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