
神は歴史の中心にイスラエルを置かれた。イスラエルを知らなければ、神様のご計画ってわからない。
そうか、僕の信仰の最後のピースはこれだったんだ。栄子おばさんに相談してみよう。
たけちゃんイスラエルのことなら私に任せて。
栄子おばさん
イスラエルを軸として聖書を見るとき、これまで見えなかった神様のご計画が明らかになります。その最後のピースにやっと気づいたたけちゃん。そこに現れたのは、イスラエルでの宣教生活を終え、日本に帰国したばかりのおば栄子だったのです。
お邪魔します。
あら、たけちゃん。
栄子おばさん、あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。よろしく。
いや。今年もよろしくお願いします。今日もね、質問持ってきました。
イエス様がいつもベタニアっていうところにいたんだなっていうのを聖書を読んで思うんだけど、エルサレムの周りには他にもたくさん街があったはずでしょ。ベタニアに行ってるのが多かったのは余程理由があるかなっていうのは疑問だね。
こういう質問を受けるの初めて見たな。素晴らしい質問なのね。イエス様のなさることっていうのはね、全部意味があるのね。で、だからイエス様はガリラヤ地方に住んでらっしゃって、エルサレムに来ると、ベタニアを、本拠としてらっしゃったね。なぜベタニアだったのか。そう、で、そこには大きな理由があるのね。
やっぱりこれも理由がある。
それが理由があるのね。それは、祭司がベタニアっていうのはね、こういうところなんだけど、これ坂になってるでしょ。これ、反対側がオリーブ山なの。反対側がオリーブ山で、オリーブ山の裏側がベタニアなのね。で、このベタニアで羊飼いがたくさんやってくるの。なぜ羊飼いがね、ベタニアに来るかっていうと、神殿の祭司がこのオリーブ山って行ってきたでしょ。
うんうん。
これオリーブ山でしょ。で、このオリーブ山を登っていくのね。で、このオリーブ山っていうのは、これ全部オリーブ山なんだけど、今のこのゲッセマネの園がこの辺にあるんだけど、てっぺんっていうのがここね。てっぺんがここで、裏側がベタニアなのね。
じゃ、ここ歩いて裏まで。
そうそうそう、だからさし、神殿はここ、こっちにあるのねえ。祭司はケデロンの谷に降りて、オリーブ山を登ってベタニアに行くと、羊飼がたくさん集まってるのね。なんで羊飼いが集まってくるかっていうと、祭司が生贄に使うための羊を、選ぶ場所なのねえ。なんで祭司が選ばなきゃならないかっていうと、モーセの律法に、羊は傷のないものでなきゃいけないっていうのがね、書いてあるので、出エジプト12章の5節を読んでくれる。
あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊か山羊の内から取らなければならない。
はい。これは、一歳で傷のないっていうのを見届けるのが祭司なのね。
ああ、ああ。
うん、祭司がこの羊は傷がないかどうかっていうのを調べる。
調べるっていうことね。そして、レビ記の5章18節。それをちょっと読んでみて。
はい。
その人は、羊の群れから、あなたが評価した傷のない雄羊一頭を取って、罪過のための生贄として祭司のところに連れてくる。祭司は、彼が誤って犯し、しかも自分では知らないでいた過失について、彼のために贖いをする。彼は赦される。
だから祭司が羊をちゃんと調べて、そして祭司によってこれは生贄にふさわしいっていう風に選ばれる。だからわざわざ祭司がベタニアに行って、そういう子羊を購入しに行くわけ。
ベタニアで祭司が羊を買ってたってこと。
購入。そうそう、購入。
だから羊飼いもベタニアに来てる。
そう、最初は買いに行ってた。
買いに行ってたっていうことは書いてはいないよね。
聖書には書いてないの。これは自分たちで育てて。
うん。
そして一歳で一番かっこよくて、一番綺麗なのを祭司のとこに持ってくるね。
はい。うん。
そして祭司がこう、ちゃんと点検して、よし、これは生贄にふさわしいですっていうと、生贄に捧げることができるの。
そっか。じゃあ祭司はなんでこれを買いに行って。
これはイエス様の時代に起こっていたことなんだけど、一世紀の初めから大祭司でなってたアンナスっていう大罪司がいるんだけど、この人がこう商売を始めたのね。ビジネスを始めたの。せっかく持ってきた子羊も山羊も、もう毛の間まで調べて、異常なる点検をして、うん、そして、これは生贄にふさわしくないって言って、それで渋々、せっかく持ってきたのを使えないっていうので、持って帰らなきゃなんないんだけど、生贄をこの神殿で売ってるから、それを買いなさいと言われ、人々は自分で育てた中から連れて行って祭司に見せるんだけど、祭司がそれはダメだと文句をつけ、で、今までそれを使いたかったのに、それが使い物にならないと言われちゃうから、その場で新しいのを買いなさいって言われるわけね。なんかものすごい可愛そうな状況。そして、その売った動物の収入っていうのは、アンナスに届けられたんですよね。
そうなんだ。ひどい話だ。
すごいひどい話なのね。これがイエス様のお時代の出来事なのね。
えー。
だから、なぜイエス様がベタニアの。そうそう、ここエルサレムにいらっしゃるたんびに、その場所を中心とした寝泊まりして、本拠としてっていうね。それは、その場所に神の子羊がここを選びになった。だからね、イエス様のなさってることっていうのは、全部意味があるんですよ。ベタニアっていう場所は、生贄にされる羊が選ばれる場所っていう、そういうイメージというか、そういう場所なの。
そういうわけなのね。
そこに、イエス様はいつも言っていた。
そこで寝泊まりしてるの。そして、毎日神殿に行ってお教えになって、また夜になるとベタニアに戻っていたっていうのが。だから、マタイ、ちょっと読んでみて。マタイの21章17節。はい。
イエスは彼らを後に残し、都を出て、ベタニアに行き、そこに泊まられた。
ベタニアに行き、そこに泊まられたっていうのは、一日中神殿にいらっしゃったんだけど、うんうん。泊まる場所はベタニアであったわけなのよね。そして、十二弟子たちも一緒にいつもそっちに行ってたので。マルコ、11章11節読んでみて。
こうして、イエスはエルサレムにつき、宮に入られた。そして、全てを見て回ったのち、時間ももう遅かったので、十二弟子と一緒にベタニアに出ていかれた。
やっぱりそうでしょう。十二弟子たちもベタニア。いつもイエス様と一緒にベタニアに行かれたわけなのね。そして、子羊が選ばれる場所っていうところで寝泊まりして、そして子羊が生贄に捧げられるところでお教えになってたっていうね。
そうかそうか。
子羊が選ばれる場所にイエス様が言ったっていうのは、イエス様も子羊って呼ばれてるっていうことが関係している。神の子羊として生贄になるためにお生まれになってね。人間はみんな生きるために生まれてくるんだけど、イエス様だけ死ぬためにお生まれになったのね。
うん。
だから、子羊は、その生贄にされる子羊っていうのは死ぬんだから、その死ぬ子羊が選ばれる場所で寝泊まりなさって、子羊が捧げられるところでお教えになってっていう。それが、エルサレムにいらっしゃったと。
生贄として捧げられる子羊が選ばれる場所っていうのと、イエス様も神の子羊として捧げられなきゃいけないから、その場所から出るっていうのが、ちょっと繋がってきた感じが。
もう本当にね、イエス様のなさってること全てがね、聖書の御言葉なのね。
やっぱりベタニアにあって意味があるなってのは、ちょっとわかってきたね。
で、そのベタニアからオリーブ山を越えて子羊が連れてこられる時、羊の門というところから入っていくのね。今現在、これは同じ場所。同じ場所なんだけど、ライオン門って言われてんのね。ライオン門っていうのはね、ここにライオンの彫刻みたいなのがあるから、ライオン門って呼ばれてんの。ねえ、これが使徒の働きの時代には、ステパノ門って呼ばれてたの。ステパノはこの門から引きずり出されて、ケデロンの谷のところで石投げの刑にあってるのね。だからステパノ門って長い間呼ばれてたんだけれど、今はライオン門。
でも、イエス様の時代にはなぜ羊の門かというと、祭司がベタニアで手に入れた羊を連れてきて、こっから入って神殿に持ってきてたのね。だから、羊の門っていうその時の名前がこの時の名前なのね。
うん。
だからもう、イエス様のなさったことっていうのは、一つ一つがその聖書の言葉に合っているのと、その時代の背景に当てはめて、イエス様が歩んでらっしゃった。で、聖書の中には、ベタニアが羊選ばれるところとは書いてないけど、イエス様の時代にはそうなってたから、そこで選ばれるという場所に行ってらっしゃった。祭司がそこに羊を買いに行き、羊飼いはそこに羊を売りに来た。子羊をそこから選んで連れていくっていう場所だった。だからね、ベタニアっていうのはね、ものすごい大切なこと。この質問、してもらってすごい嬉しいんだけど、誰もその質問してくれたことがないんだけど。素晴らしい質問なのね、これは。ねえ。
じゃあ、神の子羊っていう、イエス様がそこにこう出入りしてたっていうのは、もっと深い意味が。
そう。だから、ここにはイエス様が選ばれる場所。イエス様っていうのは神の子羊だから、もう生まれになった時から神様に生贄の子羊として選ばれて思われになってるんだけど、でも、この民族の人たちに選ばれなきゃならない。そのために、その子羊が選ばれる場所ベタニアをいつも根拠としてらっしゃったわけなの。ねえ、ここでとても興味深いことが起こってるので、ヨハネの11章、5節と6節読んでくれる。
イエスは、マルタとその姉妹とラザロと愛しておられた。そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられたところになおニ日とどまられた。
これ、ちょっとおかしいよね。なんでラザロが病気だってわかったのに、ニ日間余分に。
そうだね。うん。じゃ、ラザロ病気なの。じゃあすぐに行くって、そうあるべきなんだけど。ラザロが病気。じゃああと二日いましょうっていうことになってんのね。そして、ラザロが死んでしまうわけなのね。で、そこになぜニ晩、ニ日間余分にとどまられたかっていう、そこに大きな理由があるのね。で、なんでっていうと、ユダヤ人は人が死ぬと三日間はその人の魂がとどまってるって言ってるのね。だから、三日以内に復活するということはありえる。誰が復活したのかわかんないけど、ありえるっていう考えをいつも持ってたのね。ところが、ここであと二日とどまったがためにラザロは死んで、ベタニアに来た時には四日経ってたのね。
イエス様がベタニアに着いた時にはラザロが死んで四日。四日だから四日目。四日間死んでいたっていうことは、ユダヤ人にとって復活は不可能っていう、そういう日にちなのね。
ここで、同じヨハネ11章なんだけど、37節から39節読んで。
しかし、盲人の目を開けたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。という者もいた。そこでイエスはまたも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴であって、石がそこに立てかけてあった。イエスは言われた。その石を取りのけなさい。死んだ人の姉妹、マルタは言った。主、もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。
ここで四日になりますからという言葉が書かれているのがね、大きな意味があるのね。この御言葉の中に、盲人の目を開けたこの方が、あの人を死なせないでおくことができなかったのかというのは、もう人の目を開けるっていうことは、メシアだから。メシアであるのに、どうして愛するラザロを助けることができなかったんだろうって言ってるんですよ。そして、四日も経ってるから、もうとっくに死んでることは絶対なんだけれど、もうにおいがしてますよっていう言葉を言ってるのね。じゃあ、たけちゃん、41節から45節読んで。
はい。
そこで彼らは石を取りのけた。イエスは目をあげて言われた。父を、私の願いを聞いてくださったことを感謝いたします。私は、あなたがいつも私の願いを聞いてくださることを知っておりました。しかし、私は、周りにいる群衆のために、この人々が、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。そしてイエスはそう言われると大声で叫ばれた。ラザロよ、出てきなさい。すると、死んでいた人が手と足を長い布で巻かれたままで出てきた。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。ほどいてやって帰らせなさい。そこでマリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人がイエスを信じた。
ここで腐って、腐り始めてるはずの人が出てきている。蘇っている。もうこれはただメシアの奇跡をしているっていうだけではなくって、みんなを震え上がらせた出来事なのね。だから、このベタニアでこのことを見た人たちが、みんなそう信じたわけね。だから、神の子羊がベタニアで人々から選ばれたという出来事なのね。
この人こそメシアだっていう印象も。
もう絶対的にね、この人がメシアで神様でっていうね、もう大変震え上がるような出来事が起こったわけね。だから、このベタニアに関連している、ベタニアで選ばれているっていうことがまずは起こらないことには、今度エルサレムで神の子羊と捧げられるということがない。
うん。
その時代背景で、イエス様はベタニアをもう思い出されたわけなのね。ベタニアで贄に捧げられた子羊が、祭司たちに選ばれたように、イエス様も神の子羊なので、ベタニアで人々から選ばれなきゃいけない。
そういうこと。
ということ。神様にはもう選ばれてるから、それはいいんだけれども、人々から選ばれるっていうことがね、とっても大切だったのね。今度、ちょっと聖書を見てみようかな。はい、マルコの11章の1節から7節。
はい、読んでくれる。これ、とっても素晴らしいところ。
さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山の麓のベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスは二人の弟子を使いに出して言われた。向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのないロバの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて引いてきなさい。もし、なぜそんなことをするのかという人があったら、主がお入り用なのです。すぐにまたここに送り返されますと言いなさい。そこで出かけてみると、表通りにある家の戸口にロバの子が1匹つないであったので、それをほどいた。すると、そこに立っていた何人かが言った。ロバの子をほどいたりしてどうするのですか。弟子たちがイエスの言われた通りを話すと、彼らは許してくれた。そこで、ろばの子をイエスのところへ引いていって、自分たちの上着をその上にかけた。イエスはそれに乗られた。
これはもう、とてもとても素晴らしい出来事で。あ、誰も乗ったことがないロバって書いてあるでしょ。
はいはい。
誰が。誰も乗ったことがないロバっていうのはね、乗ったらどうなるかっていうと、もう暴れて暴れて、すぐに放り出される。もうロバに乗る、人を乗せるっていうことを教えるのに専門家が訓練しなきゃなんない。馬も同じなのよ。馬にただ乗っかり、乗っかったら動いてくれると思ったら大間違い。もう蹴っったりされて大変なのね。
人を乗せるのに慣れてないって。乗せたことがないから、
慣れてないどころか、ものすごい腹を立てるわけなのね。ところが、イエス様が乗られると、そのロバはすごい柔和になって、イエス様にちゃんとついてて、あ、そう、どこへでもあなたのとこ行きますって言わんばかりに。これは奇跡。神様ご自身の柔和さによって、うん、起こっていることなのね。なるほど。そして、イエス様はベタニアで、うん、この誰も乗ったことのないロバに乗って、そしてオリーブを越えて、そしてエルサレムに入場なさったんだけれども、たくさんの神学者が色々と考えがあるんだけれど、私はもう絶対的に。イエス様は子羊の門から入場なさった。
はい。
私はもう、このベタニアのことを知っている人たちはみんなそう思うんだけど。あ、子羊の門から入られたって。そして、いよいよ、救い主となられる一時間が待ってるんだけど。
この旧聖書にこのことが預言されてるのね。はい。だから、ゼカリア書9章9節読んでみて。
はい。シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。
それも雌ロバの子のロバに。
これが預言。その通りに、めの雌ロバの、子のロバだ。でね、まだ生まれて間がない、誰にも訓練されたことのないロバに乗ってるお方が来られるのが、王ですよ。シオンの娘たち、大いに喜びなさいっていう預言なのね。
ほんとだったら、うん、人を乗せたら大騒ぎして、そうそう暴れるような子を、イエス様を乗りこなしたの。
乗りこなしたっていうよりも、なんかロバも感じてたのではないかなって思うんだけど、柔和さですよね。そして、この羊の門からロバに乗って入られた。それがもう、このベタニアの素晴らしい素晴らしい意味、深い意味っていうわけ。でもね、ベタニアのことってね、もっとあるのよ。だから今度来た時に。
いや、やっぱりベタニアに意味があったんだなと。こんなに深い意味があるとはね。驚きだけど、また聖書がよくわかるようになるしね。
うわ、もう、こんな質問してくれてほんとありがとう。もうなんかベタニアのこと思い出してね。私もわくわくしちゃった。
ほんとだね。じゃあ、次もまたどんな意味が隠されてるか、ぜひ教えてね。
はいはいはい。また聞きに行きます。
それでは、本日のおさらいをします。イエス様の時代には、ユダヤの羊飼いたちはベタニアに集まっていました。それは、祭司たちが生贄に適している子羊や山羊を羊飼いから購入していたからです。イエス様がエルサレムに来られると、ベタニアを拠点として泊まられていました。それは、神の子羊としてお生まれになったイエス様は、ベタニアでメシアとしては贖い主として選ばれるためでした。
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